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翔天狼 大士(しょうてんろう たいし、1982年1月31日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で藤島部屋所属(入門時は武蔵川部屋)の現役大相撲力士。本名はダグダンドルジーン・ニャムスレン(モンゴル語キリル文字表記:、ラテン文字転写:''Dagdandorjiin Nyamsuren'')、愛称はニャムカ。生まれ育ったのはウランバートル市だが、2009年10月以降はホブド県を出身地としている。身長189cm、体重167kg、血液型はO型、星座は水瓶座。得意手は突き、押し、右四つ、寄り。趣味はインターネット、旅行。最高位は東前頭2枚目(2009年9月場所)。''、ラテン文字転写:''Dagdandorjiin Nyamsuren'')、愛称はニャムカ。生まれ育ったのはウランバートル市だが、2009年10月以降はホブド県を出身地としている。身長189cm、体重167kg、血液型はO型、星座は水瓶座。得意手は突き、押し、右四つ、寄り。趣味はインターネット、旅行。最高位は東前頭2枚目(2009年9月場所)。 ==経歴== ウランバートル市内で猛虎浪と同じ団地の住人だったが、お互い面識は無かったという。母国モンゴルのスポーツ祭典「ナーダム」のモンゴル相撲でジュニア優勝、世界相撲選手権大会の無差別級で3位というタイトルを持ち、現地の新聞記者に紹介された縁で2001年(平成13年)3月武蔵川部屋に入門し初土俵を踏む。同期の力士には横綱白鵬がいる。 幕下までは順調に出世したが、怪我で7戦全敗し三段目に陥落するなど足踏みし、長く幕下中位から上位に低迷した。初の幕下上位の場所で大敗した次の場所から四股名を武蔵龍から自分で考えた翔天狼に改名。2008年(平成20年)9月場所では幕下筆頭で4勝3敗と勝ち越して、十両昇進を決めた。 新十両で迎えた2008年(平成20年)11月場所では44年ぶりとなる初日からの9連勝を達成し、1953年1月場所成山が記録した新十両の初日からの連勝記録に55年ぶりに並んだが、10日目に岩木山に掬い投げで敗れ、新記録はならなかった。しかしながらこの場所は12勝3敗で初の十両優勝を勝ち取った。東十両筆頭で迎えた翌2009年(平成21年)1月場所でも11勝4敗の好成績で十両優勝し、翌3月場所では入幕した。新十両からの2場所連続十両優勝は同部屋の雅山以来で、史上8人目である〔http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2009012500085〕。 2009年(平成21年)7月場所を東前頭10枚目で迎え、初日から好調で14日目終了時点で10勝4敗。勝てば敢闘賞受賞の一番で黒海を下して11勝4敗、敢闘賞受賞を決めた。翌9月場所は東前頭2枚目。初日から5連敗の後6日目に横綱白鵬と初対戦し引き落としで勝利を上げ初金星を手にしたものの、この場所はわずか2勝に終ってしまった。だが、この金星が高く評価され(この年の白鵬は本割で年間86勝4敗という朝青龍の84勝6敗を上回る驚異的な新記録を達成したが、関脇以下の力士で白鵬から勝利を挙げたのは翔天狼ただ1人であった)〔さらに言えば、初顔で白鵬から金星を奪った力士も2014年11月場所終了時点に至るまで翔天狼ただ1人である。それに加え、外国出身力士として白鵬から金星を奪った力士も2014年11月場所終了時点に至るまで翔天狼ただ1人である。〕、年末には財団法人日本プロスポーツ協会による「2009年日本プロスポーツ大賞新人賞」を福岡ソフトバンクホークスの攝津正らと共に受賞した。 2010年(平成22年)1月場所では奮起が期待されたが3勝12敗と大きく負け越し、あえなく十両に陥落してしまった。7月場所で再入幕を果たしたが5勝10敗と負け越し、翌9月場所は十両へ陥落した。 2011年(平成23年)11月場所は虫垂炎と腹膜炎の影響で入院したため休場し翌1月場所は2010年(平成22年)9月場所以来となる十両に陥落した。 2012年(平成24年)1月場所は十両で8勝7敗で勝ち越し東十両5枚目の地位にもかかわらず翌3月場所の再入幕を果たした(東十両5枚目で8勝7敗での入幕は極めて異例である)。翌3月場所は幕尻ながらも10日目まで9勝1敗と好調で、一時は優勝争いに加わっていた。しかし、その後は5連敗して9勝6敗に終わった。 2013年(平成25年)5月場所は7日目に勝って5勝2敗としたことを最後に白星に見放され千秋楽まで8連敗を喫し、結局5勝10敗の成績で場所を終える。同年11月場所は初日から6連勝するも、それ以降負けが込んで9勝6敗に留まった。 2014年(平成26年)1月場所は折から「前場所より10kg太った」と不調が伝えられながらも土俵に上がるが〔【白星黒星】翔天狼「太ったから余分な脂肪を燃やして筋肉に」 SANSPO.COM 2014.1.24 20:21〕、初日に遠藤を破ったもののその後8連敗で負け越すなど絶不調に陥り、最終的な成績は2勝13敗に終わった。翌3月場所は12日目に負け越しを確定させたばかりか13日目から途中休場を喫するなど完全に精彩を欠いてしまったが、続く5月場所は幸運にもわずか4枚半減となる西十両8枚目の地位を与えられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「翔天狼大士」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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