|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 井 : [い] 【名詞】 1. well ・ 泰 : [たい] 【名詞】 1. Thailand ・ 子 : [こ, ね] (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
水井 泰子(みずい やすこ、1975年9月19日 - )は、日本の元バドミントン選手。オリンピック2回出場。 == 人物 == 1975年9月19日、奈良県出身。姉(水井妃佐子)の影響でバドミントンを始める〔水井泰子 アトランタオリンピック1996選手名鑑(バドミントン) 日本オリンピック委員会〕。姉と同じ四條畷学園中学校・高等学校に進学。中学校時代は全国中学校バドミントン大会で3年連続出場して1990年、中学校3年次では女子シングルスで優勝を果たしている〔全国中学校選抜選手権大会 栄光の記録 第11回~第20回 横浜ジュニアバドミントンクラブ〕。 四條畷学園高等学校進学後は全国高等学校総合体育大会に3年連続出場し、高校1年(1991年)、高校2年(1992年)と女子シングルスで2年優勝、高校3年(1993年)も決勝に進出したが、中山智香子(当時・旭川実業高等学校)に敗れて3連覇を逃している〔栄光のあと 個人対抗の部(1991年~1993年)参照 公益財団法人全国高等学校体育連盟 バドミントン専門部〕。また1993年には全日本総合バドミントン選手権大会に出場、高校生ながら決勝まで勝ち進み、優勝を賭けた決勝では姉の妃佐子との姉妹対決となり姉に2-0で敗れたものの、準優勝を果たしている〔 バドミントン総合情報サイト〕。 四條畷学園高等学校卒業後は姉と同じフジチューに入社し、バドミントン部に所属。1996年のアトランタオリンピックに姉と共に出場し、女子シングルスで3回戦敗退している〔アトランタオリンピックバドミントン競技リザルト 日本オリンピック委員会〕。1999年の第53回全日本総合バドミントン選手権大会では女子シングルスにて優勝〔 第67回全日本総合選手権大会 日本バドミントン協会〕。 2000年にはシドニーオリンピックに出場、女子シングルスで日本選手初となるベスト8進出を果たした〔(9/18)水井が単で日本初の8強へ 日本経済新聞 2000年9月18日付〕。 シドニーオリンピック後に現役を引退〔バドニュース ばどのホームページ 2001年3月15日付〕。2001年4月8日、ヨネックスオープンジャパン(国立代々木第二体育館)の最終日に引退式を執り行った〔YOPJ2011で、引退3選手に花束贈呈! その時突然場内が真っ暗に! ナショナルチーム絵日記(2001年4月8日の項) Real Badminton Players〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「水井泰子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|