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水間百合子(みずま ゆりこ、1970年7月22日 - )は、元女子サッカー選手。山形県生まれ、埼玉県育ち。身長163cm。ポジションはおもにフォワード。日本女子代表としては1990年に行われた第11回アジア競技大会(中国・北京)の北朝鮮戦でゴールを決め、銀メダル獲得に貢献した。 2006年10月、自らの半生を綴った著書『女に生まれて男で生きて』(河出書房新社)で性同一性障害であることを公表した。 == 主な経歴 == * 山形県に生まれ、3歳より埼玉県浦和市(現・さいたま市)にて育つ。 * 幼稚園児のころ、運動神経のよさから器械体操をはじめる。一時期は少年野球チームにも所属したが、オリンピック出場も期待される逸材であったため小学2年のころ野球チームを退部した。しかし小学4年のころ練習中のアクシデントにより体操ができなくなり、その後も復帰すべく努力したが、小学5年で夢を断念することになった。 * その後、当時流行していた漫画「キャプテン翼」の影響もありサッカーに関心を示し、近所の男の子たちと一緒になって楽しんでいたが、中学校では女子サッカー部がなかったためバレーボール部に入部。しかし浦和本太レディースFCのメンバー募集を知り、サッカーに挑むことになった。 * 浦和本太は当初、いわゆる「ママさんサッカーチーム」として発足したため練習時間が限られていたが、同じような境遇の中学生が同時期に入部したこともあり「ジュニアチーム」に登録変更。そのため本格的なチーム活動が行われるようになった。また限られた活動時間を補うため、中学校では陸上競技部に所属し基礎体力を積み上げていった。 * このような努力の結果により日本女子代表の一員に選ばれ、第11回アジア競技大会(中華人民共和国・北京 1990年)や第1回FIFA女子ワールドカップ (中華人民共和国 1991年)のメンバーに選ばれた。 * この活躍により日本女子サッカーリーグ(JLSL:現・なでしこリーグ)所属チームからオファーを受けたが、チーム事情もあり引き続き浦和本太に所属。1992年にはチームがJLSLチャレンジリーグに参加し、JLSL昇格を目指していた。 * しかし1993年、旭国際バニーズにプロ契約選手として移籍(日本サッカー協会への通達が翌年であったため公式ではリーグ二人目のプロ選手とされているが、実際には第1号選手である)。 * 1995年、練習中のケガにより一時リタイア。このことがきっかけとなってバニーズを退団し、リハビリテーションに専念することとなった。 * 1998年、浦和レディースFC(浦和本太レディースFC改め)の一部メンバーとともに浦和レイナスの発足に携わる。その年のシーズン限りで引退。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「水間百合子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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