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永山淸右衞門 : ミニ英和和英辞書
永山淸右衞門[もん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [みぎ]
 【名詞】 1. (1) right hand side 2. (2) above 3. afore-mentioned 4. foregoing 5. forgoing 
: [もん]
  1. (n,n-suf) (1) gate 2. (2) counter for cannons 

永山淸右衞門 ( リダイレクト:永山盛輝 ) : ウィキペディア日本語版
永山盛輝[ながやま もりてる]

永山 盛輝(ながやま もりてる、1826年9月16日(文政9年8月15日) - 1902年明治35年)1月18日〔『平成新修旧華族家系大成』下巻、257-258頁。〕〔『明治維新人名辞典』719頁では「1月17日」没。〕)は、幕末薩摩藩士、明治期の官僚政治家新潟県令元老院議官貴族院勅選議員錦鶏間祗候男爵。通称・清右衛門、左内、正蔵〔『明治維新人名辞典』719頁。〕。
==経歴==
薩摩藩士・永山盛広の息子として生まれる〔。勘定奉行、江戸留守居役を務め藩政改革に尽力した〔『新編日本の歴代知事』399頁。〕。戊辰戦争では東征軍の薩摩藩兵監軍として従軍し各地に転戦した〔。
明治2年2月28日1869年4月9日)会計官御東幸中用度司判事に就任。その後、大蔵省用度権大佑、民部省監督権大佑を歴任。明治3年6月23日1870年7月21日)伊那県出仕に転じ、租税大佑と同県少参事心得を兼任。同県少参事、同大参事を歴任。明治4年11月20日1871年12月31日)伊那県が廃止となり新たに設けられた筑摩県参事に就任し、1873年3月、同権令に昇進〔「職務進退・元老院 勅奏任官履歴原書 永山盛輝」〕。筑摩県では教育の普及に尽力し、県内を巡回し学制前に郷学校百数十校を設置した〔『朝日日本歴史人物事典』1227頁。〕。1875年10月、新潟県令に転任。戊辰戦争からの復興のため士族女子の救済施設「女紅場」の設置や、小学校の就学率の向上に尽力〔。
1885年4月18日、元老院議官に就任。1890年10月20日、元老院が廃止され非職となり錦鶏間祗候を仰せ付けられ〔、1891年4月21日、非職元元老院議官を依願免本官となる〔『官報』第2340号、明治24年4月22日。〕。同年4月15日、貴族院勅選議員に任じられ〔『官報』第2335号、明治24年4月16日。〕、死去するまで在任した〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』148頁。〕。1900年5月9日、勲功により男爵を叙爵〔『明治過去帳』新訂初版、644頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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