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沢村栄治賞(さわむらえいじしょう)は、日本プロ野球における特別賞の一つ。通称「沢村賞」。 == 概要 == 1947年、読売新聞社が戦前のプロ野球黎明期において豪速球投手として名を馳せた沢村栄治の栄誉と功績を称えて制定〔週刊ベースボール1981年11月2日号「江川はどんなにいいピッチングをしても、一生、賞は貰えないのでしょうか? 沢村賞から投手のタイトルを独占した江川をはずした"東京・運動部長"の怪」p26-29〕。 1950年からはセ・リーグの投手の中から「沢村のイメージにふさわしい投手」という基準で選考。1989年からパ・リーグにも対象が拡大され、全球団から選出されることとなった。パ・リーグの球団に所属する選手で初めて受賞したのは1990年の野茂英雄(当時近鉄)。また2015年時点の12球団ではロッテのみ未選出である。沢村賞はリーグごとの公式表彰項目ではなく、公式の表彰に準ずる特別賞である。 1981年までは読売新聞社が選考を東京運動記者クラブ部長会に委嘱していた。1982年5月14日、同会は沢村賞の選考を辞退することを決定〔読売新聞1982年5月15日17面「運動部長会が沢村賞の選考を辞退」〕、同年度より選考委員会方式に改められる〔読売新聞1982年10月21日17面「『沢村賞』きょう決定 選考委員に金田、村山氏ら」〕。1981年度の受賞者は、20勝6敗・防御率2.29・奪三振221の3部門でタイトルを獲得した江川卓ではなく、18勝12敗・防御率2.58・奪三振126の西本聖が選出され、物議を醸した。選考は10月14日、数寄屋橋にあるリトルトウキヨーの9階中華料理屋『ろん』にて、東京運動記者クラブに加盟する44社のうち31社の運動部長が参加。選考において江川と西本の2人に絞られ、最終的に投票によって選考となった。投票に至るまで、参加者の中から「成績的には江川君だが青少年への影響となると…」〔週刊文春1981年10月29日号「沢村賞落選!MVPも?江川の『人格』を許さなかった運動部長16人の怒り」〕や「MVP投票には人格うんぬんされるが、沢村賞の選考には人格の基準はないのか。過去のことは含まず、今年の成績だけを対象にするのか」〔という声や「成績だけで決めるのなら、なにも委員会を開く必要はない」という声が挙がった〔。決を採るため無記名投票が行われ〔、西本16票、江川13票、白紙2票となり、西本の受賞が決定した〔読売新聞1981年10月15日17面「沢村賞に"熱投" 江川と3票差 優勝の足固めを評価」〕。 現在は、選考基準の項目をどれだけ満たしているかを参考にして、沢村賞選考委員会の審議により、毎年12球団の中から原則1名が選出される。過去には1966年には村山実・堀内恒夫の2名、2003年には井川慶・斉藤和巳の2名が同時選出されている。賞金は300万円。選考基準項目を多く満たした投手ほど受賞に有利であるが、最終的な判断は選考委員に委ねられており、基準項目はあくまで参考に過ぎない。特に近年は、完投試合数が投手の分業化が進んで減ってきており、2001年以降、沢村賞受賞者のうち完投試合数の基準項目である10試合以上を満たした選手はわずか4人しかいない。これについては、選考委員からも完投試合数について、選考基準の見直しを示唆する声も出てきている〔沢村賞選考基準見直しも 分業化で完投数減、基準にQS案も スポーツニッポン2014年10月28日〕。 選考委員は原則5名で、セ・リーグ(基本的には受賞経験者)及びパ・リーグで先発投手として活躍した元選手が起用され、現職の日本プロ野球監督・コーチングスタッフからは起用されたことはない。2015年度の委員は堀内恒夫(委員長)、平松政次、村田兆治、北別府学〔大沢親分に代わり…山本氏、北別府氏が就任 スポーツニッポン 2010年10月22日〕、山田久志〔プロ野球:沢村賞、全会一致で前田健太投手 2度目受賞 毎日新聞 2015年10月26日閲覧〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「沢村栄治賞」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Eiji Sawamura Award 」があります。 スポンサード リンク
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