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沢柳事件(さわやなぎじけん)は、1913年から1914年にかけて京都帝国大学(現京都大学)で起こった、総長(学長)と学部教授会との間の内紛事件。「京大事件」とも呼ばれ、大学における教授会自治を確立させるきっかけとなった事件として知られている。 == 概要 == 1913年7月、文部省の任命で就任して2ヵ月になったばかりの沢柳政太郎京都帝国大学総長は、教学の刷新を標榜して以下の七教授に辞表を提出させ8月に免官を発令した〔〕。 *天谷千松(医科大学=現医学部、生理学) *吉田彦六郎(理工科大学=現理学部・工学部、有機化学) *横堀治三郎(理工科大学、冶金学) *三輪恒一郎(理工科大学、数学) *村岡範為馳(理工科大学、放射線物理学) *吉川亀次郎(理工科大学、電気化学) *谷本富(文科大学=現文学部・教育学) 罷免された七教授の中には、以前から学内自治を主張していた谷本が含まれていたこともあり、京都帝大法科大学(現・京大法学部)の教授・助教授たちは仁保亀松学長(現在の学部長)を中心に結束し、教授の人事権は教授会にありと主張した。これに対し沢柳総長は、教授の地位を保つのはその実であって制度的保障はなく、また現行制度においても教授の任免に教授会の同意は必要でないと反論した〔。 総長と法科の対立は激化し、1914年1月になって法科教授・助教授は抗議の連帯辞職を敢行した。法科学生や東大法科の首脳も教官を支持した。1月23日、奥田文相は「教授ノ任免ニ付テハ総長カ職権ノ運用上教授会ト協定スルハ差支ナク且ツ妥当ナリ」と法科の主張を認めた。これを受けて教官は辞職を撤回。同年4月、進退窮まった沢柳総長は辞職した。後任総長は山川健次郎東京帝大総長が兼任した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「沢柳事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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