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河東田 清重(かとうだ きよしげ、生没年不詳)は、戦国時代の武将で、白河結城氏の家臣。重治の子で、親顕の父。別名は重清。上総守。大膳。 河東田氏は、白河氏の一族で、結城顕朝の次男朝重から四代後の重継が河東田郷を領して河東田城(天王館・天王寺館)を構築し、姓としたといわれる。 結城義親の命で伊達氏との交渉に当たった。また、武勇に優れ、佐竹氏との戦いなどで活躍する一方、領内に善政を敷いたので民衆に慕われた。 1576年に佐竹氏に奪われていた赤館城を奪回するため,白河勢が最前線の河東田城に集結した。清重も佐藤忠秀に従いこの戦いで奮戦している。 1589年に義親が伊達氏に降ると、清重は佐竹氏への備えとして関和久城(伊賀館)の警護に当たったが、翌年主家は豊臣秀吉により改易される。その後は義親に従って伊達氏に仕え、子孫は仙台藩士となった。 後に伊達政宗が支倉常長ら慶長遣欧使節団をヨーロッパに派遣することになると、清重の子・親顕が使節船サン・フアン・バウティスタ号の造船の奉行に命じられたと言われている。 なお、清重との関係は不明だが、一族の河東田河内守とその子備前守は佐竹氏に仕えている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「河東田清重」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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