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泉洋 辰夫(いずみなだ たつお、1928年9月30日- )は、大阪府泉佐野市出身で、時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は山形 辰夫(やまがた たつお)。最高位は西前頭6枚目(1959年7月場所)。現役時代の体格は176cm、103kg。得意手は左四つ・突っ張り・押し・寄り・下手捻り。 == 来歴・人物 == 1949年、21歳で時津風部屋に入門。同年10月場所で初土俵を踏んだ。この場所、番付外と新序で好成績を残した為、翌年1月場所では序ノ口を飛び越していきなり序二段に付いた。 因みに当初の四股名は、本名でもある「山形」であった。 1953年1月場所、番付に付いてから僅か3年で十両に昇進、1954年5月場所で新入幕を果たした。その後は、幕内の中位~下位で長く活躍した。 小柄だが筋肉質の体で、突っ張りからの両ハズ押しを得意とし、左四つに組むと捻りや切り返しがある技能派力士だった。 1962年9月場所後、34歳で廃業。 廃業後は、郷里の泉佐野市内で相撲料理店を営んだ。 彼が取的だった頃は、大相撲全体の力士の数も少なかったので、幕下以下も連日取組があった。その為、序二段から廃業まで、全ての場所で15日間相撲を取る〔ただし、1957年9月場所は5日間休場。最終場所となった1962年9月場所では西幕下2枚目に在位し、この時には幕下以下は現行の7番相撲だったが、出場しなかった。〕という珍しい星取表を残している。 1960年1月場所に於いて、後の横綱・大鵬幸喜が、新入幕で初日から11連勝した際の初日の相手だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「泉洋辰夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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