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波佐見焼(はさみやき)は長崎県東彼杵郡波佐見町付近で産する陶磁器。慶長年間、藩主大村氏が朝鮮から連れ帰った陶工に始まる。丈夫な日用品が多い。〔『デジタル大辞泉』、『日本国語大辞典』〕 江戸時代から大衆向けの食器を巨大な連房式登窯で多量に焼いてきた。今日でも食器生産が盛ん。1990年代前半には、全国の生活雑器のシェアの1/4から1/3を占めたこともある。 == 歴史・特徴 == 大村藩主の大村喜前が文禄・慶長の役から帰国するとき、朝鮮陶工の李祐慶が同行し、彼が慶長3年(1598年)に村内に登り窯を築いたのが始まりとされる。当初は釉薬を施した陶器を焼いていたが、良質の陶土を発見したことによって磁器生産が中心となった。 当初は三股郷の陶石を原料とし、青磁が主力であった。その後、砥石として広く流通していた天草の石が白磁原料に向いていることが判明し、大量に天草砥石を購入して町内全土で磁器生産を行うようになった。 大衆向け陶磁器を志向し、大量生産に特化してきた。中尾上登窯(17世紀中葉-1929年)は全長約160mという巨大な窯であった〔長崎県教育庁学芸文化課「中尾上登窯跡 」『長崎県の遺跡大辞典』〕。 一方で、隣の有田・三川内との薪炭材をめぐる諍いも激しかった。三藩が接する幕の頭(まくのとう)と呼ぶ山では、互いに領地を侵して薪を盗んでくることも日常的で、山の中で乱闘・殺し合いも起きる有様だった。結果、三藩の協議によって領地の見直し交渉が何度も実施されることになる。幕の頭山頂に立つ三角柱の「三領石(さんりょうせき)」は、薪をめぐる陶工たちの争奪戦からの産物である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「波佐見焼」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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