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洛西ニュータウン(らくさいニュータウン)とは、京都市西京区南西部の大原野地区(旧乙訓郡大原野村)北東部と大枝地区(旧乙訓郡大枝村)南部にまたがる地域にあるニュータウンである〔京都市/編 『史料京都の歴史 15 西京区』 平凡社、1994年10月。ISBN 978-4582477153〕。 == 歴史・概要 == === 立地 === 京都市南西部にある西山断層崖の麓で小畑川が南に向かって流れる標高約70mから約130mの西山丘陵と呼ばれる丘陵地に立地している〔野外歴史地理学研究会編 『近畿野外地理巡検』 古今書院、1983年5月。ISBN 978-4772210720〕。 この丘陵地は小畑川を境にして東側が向日町丘陵で、西側が大原野台地とも呼ばれている〔中山修一先生古稀記念事業会 『長岡京古文化論叢』 同朋舎、1986年6月。ISBN 978-4582477023〕。 開発前は、西山竹林と呼ばれる竹林が広がり〔杉野圀明 『観光京都研究叙説』 文理閣、2007年7月。ISBN 978-4892595486〕、筍(たけのこ)や富有柿等を産出する農山村地域であった〔奥野進 『明治 大正 昭和 京都市立学校園沿革史』 京都報道センター、1981年9月。〕。 また、「福西古墳群」と呼ばれる帆立貝式古墳を含む24基の古墳が集まった群集墳が残り〔京都市/編 『史料京都の歴史 2 考古』 平凡社、1983年3月。ISBN 978-4582477023〕、小畑川の河岸段丘上には完成度の高いチャート製のナイフ形石器や押型文土器が埋設されていた「大枝遺跡」などの考古学上の遺跡が多数存在する場所でもあった〔。 こうした考古学上の史跡は、開発前に「大枝遺跡」などの遺跡の発掘調査が行われて資料が残されたものの〔、古墳は2基以外は発掘調査後に破壊される〔佐和隆研 奈良本辰也 吉田光邦 『京都大事典』 淡交社、1984年。〕など大半の遺跡が破壊されることになった〔。 ただし、一部の古墳が公園として残されている〔ほか、西山竹林を伝えるものとして「京都市洛西竹林公園」がニュータウン内に整備された〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「洛西ニュータウン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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