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津軽信壽 : ミニ英和和英辞書
津軽信壽[まこと, しん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [けい]
  1. (n,pref) light 
軽信 : [けいしん]
 (n,vs) gullibility
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 

津軽信壽 ( リダイレクト:津軽信寿 ) : ウィキペディア日本語版
津軽信寿[つがる のぶひさ]

津軽 信寿(つがる のぶひさ・津軽 信壽)は、陸奥弘前藩の第5代藩主。
== 生涯 ==

=== 人物 ===
寛文9年(1669年)5月24日、第4代藩主・津軽信政の次男として生まれる。幼名は母の縁からか竹千代。初名は津軽信重1710年(宝永7年)、元禄大名七傑とも、中興の英祖とも呼ばれた父の死去により、42歳で弘前藩主家の家督を継ぐ。
その後、初帰国した際は長大な行列を組んでお国入りし、7日以上も祝宴を開き、将軍から贈られた関ヶ原合戦図屏風を公開し、また父の廟所に高照神社(高照霊社)を創建して遷宮祭事を盛大に執り行った。このことからも当時の弘前藩は、いまだ余裕があったように感じられる。
信寿自身は小野次郎左衛門忠於忠一小野派一刀流を学び直伝を受け、その直伝を小野家の忠方に授け返した程のの達人で、また信寿は文化芸術に対する理解もあったらしく、を良くし、においても狩野派を学ぶなどした。1737年(元文2年)には自らの手で、絵入俳書である『独楽徒然集』を2冊編纂した。
1723年(享保8年)に江戸漆芸家・小川破笠をお抱えとして創作活動への援助を行い、この“津軽様お抱え”の看板が、破笠の名声を高めるきっかけとなった。当代有数の教養人という評判もあり、まさに文武両道を極めた人物であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「津軽信寿」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tsugaru Nobuhisa 」があります。




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