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「涙の太陽」(なみだのたいよう、''Crying in a Storm'')は、1965年4月20日に発売されたエミー・ジャクソンのデビュー曲である。彼女の代表曲となり、多くの歌手にカバーされた。 == 概要 == エミーは当時横浜のアメリカンスクールに在学し、ラジオ関東の番組をアシスタントを行う傍ら、湯川れい子に見出され、日本コロムビアの「CBS」レーベルから歌手デビューした。 1965年(昭和40年)当時、コロムビアは米コロムビアと提携していたが、洋楽部門の売れ行きが芳しくなく、てこ入れを行うために作られたといわれている〔『驚きももの木20世紀』1998年10月30日放送「ブルーコメッツの苦悩」〕。また、この当時の日本のレコード業界は依然として作詞・作曲家は専属契約制をとっており、フリーの作家は思いのほかリリースすることができず、「洋楽」として発売したという説もある。作詞は湯川が担当したが、クレジットはR.H.Rivers(「湯川」を「ホット・リバース」に直訳した「レイコ・ホット・リバース」の略〔湯川れい子が2010年11月15日に笑っていいとも!に出演した際、本人が自ら語った。〕)となっている。尤も、この楽曲が英語詞での発売となったのは、先述の通りこの当時のレコード会社に依然として根強く残る古い体質の影響だったといわれる。即ち「せっかく洋楽レーベルから出すのに、どうして日本語の歌詞で出すのか」というレコード会社からの疑義があり、それを回避するため英語詞に置き換えたという理由である。一方、作曲は中島安敏が手掛けた。 バック演奏は架空の(この曲とエミーの次のシングル「夢みるマイ・ボーイ」だけで使われている実体のない)バンドであるスマッシュメンが担当し、コーラスはフィリピンのグループが担当した〔CD「エミー・ジャクソン/涙の太陽 THE VERY BEST OF EMY JACKSON」 (COCA-11508)のライナーノーツ〕。 発売当初のシングル盤の価格は洋楽扱いだったため、370円と割高だった(当時の邦楽は330円。1ドルが360円の時代だったので、全体的に輸入盤が割高だった)が、ラジオでのプロモーションがよかったため、70万枚〔beautiful〜彩美曲〜 、Amazon.co.jp (2009/1/26閲覧)〕〔コンピレーション・アルバム『beautiful 彩美曲(さび)』 、コロムビアミュージックエンタテインメント (2009/1/26閲覧)〕を売り上げる大ヒットとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「涙の太陽」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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