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液体燃料ロケット(液体ロケット)は、液体の燃料と酸化剤をタンクに貯蔵し、それをエンジンの燃焼室で適宜混合して燃焼させ推力を発生させるロケットである。人工衛星の姿勢制御エンジンなど一部には過酸化水素やヒドラジンのように自己分解を起こす推進剤を触媒等で分解して噴射する、簡単な構造の一液式のものもある。 液体燃料は一般的に燃焼ガスの平均分子量が小さく、固体燃料に比べて比推力に優れているうえ、推力可変機能、燃焼停止や再着火などの燃焼制御機能を持つことができる。また、エンジン以外のタンク部分は単に燃料を貯蔵しているだけなので、特に大型のロケットでは構造効率の良いロケットが製作できる。一方、燃焼室や噴射器、ポンプなどの機構は複雑で小型化が困難なので、小型のロケットでは同規模の固体ロケットに比べて構造効率は悪化する。また、推進剤の種別によっては、腐食性や毒性を持ち貯蔵が困難であったり、極低温なため断熱や蒸発したガスの管理、蒸発した燃料の補充などで取り扱いに難があるものもある。 == 歴史 == 液体燃料ロケットの概念が最初に登場したのはコンスタンチン・ツィオルコフスキーによって1903年に出版された '(日本語に訳すると「反動装置による宇宙空間の探求(英語では ''Research of world spaces by jet devices'')」)に掲載されたのが初めてである。ツィオルコフスキーが考えた液体燃料ロケットは、燃料として液体酸素と液体水素を使ったもので、現実に作られることはなかったものの、彼は多段式ロケットやロケットに必要な方程式など、現在のロケットに必要なものの基礎を築いた。 1926年、ロバート・ゴダードが、液体酸素を酸化剤に用いたロケットを実験した。このロケットはアルコールと液体酸素を燃料にする方法だったが、ノズルが上にあり、燃料タンクは下にあった。これはジャイロスコープなどの誘導装置を持たない場合、ゴダートが下から持ち上げるより上から引っ張るほうが安定するからだと考えたためであった。しかし実際には重心を下方に置きすぎたために横に飛ぶ状態になり、飛翔した時間は約2.5秒、距離約56m、高さ約12.6m程度であったが、それでも液体燃料ロケットとしては初の飛行であった。 つぎに本格的に計画された液体燃料ロケットは、ドイツのヘルマン・オーベルトが、映画『月世界の女』用に製作した液体燃料ロケットである。これは映画撮影用の模型であって飛行能力は持たず、製作途中に事故で破損してしまい、オーベルトは失意で故郷トランシルヴァニアに帰ってしまった。しかしオーベルトの考え方に間違いはなく、1930年7月23日には2分割式の燃焼室を持つ円錐型ロケットエンジンを開発しドイツ国立化学工学研究所で燃焼実験に成功させているし、第二次世界大戦中はV2ロケットの研究に携わり、戦後はフォン・ブラウンの薦めもあってアメリカにわたって軍事用ロケットの研究に携わっていた時期もある〔大澤弘之 監修『新版 日本ロケット物語』p.33–36 2003年9月29日発行〕。 実際に液体燃料ロケットが世に出たのが、ナチス・ドイツが「報復兵器」と名づけたV2ロケットである。ヴェルナー・フォン・ブラウンや、先のヘルマン・オーベルトなどの科学者・技術者が集い製作したこのロケットは、アルコールと液体酸素を燃料にし、ジャイロスコープとアナログコンピューターにより誘導され、ロケットエンジンの下にある推力偏向板(ジェットベーン)により向きを変えられるという、現在存在する液体燃料ロケットの原型とも言える構造をしていた。 世界大戦終結後、鹵獲されたV2や多くの科学者・技術者はアメリカとソ連に連行され、それぞれの地でV2と同じような液体燃料ロケットを製作し、冷戦の軍拡競争で作られた弾道ミサイルとしてそのノウハウを広めることとなる。 現在でも、飛ぶ方向を決めるものが推力偏向板からジンバル機構になり、誘導装置がジャイロスコープからレーザージャイロやGPS、制御装置がアナログコンピュータからデジタル式の(現在のような)コンピュータになるなど、時代相応の技術はつぎ込まれているものの、基本的な概念や構造はナチスドイツのV2、ひいてはツィオルコフスキーの描いたものと同じである。(日本語に訳すると「反動装置による宇宙空間の探求(英語では ''Research of world spaces by jet devices'')」)に掲載されたのが初めてである。ツィオルコフスキーが考えた液体燃料ロケットは、燃料として液体酸素と液体水素を使ったもので、現実に作られることはなかったものの、彼は多段式ロケットやロケットに必要な方程式など、現在のロケットに必要なものの基礎を築いた。 1926年、ロバート・ゴダードが、液体酸素を酸化剤に用いたロケットを実験した。このロケットはアルコールと液体酸素を燃料にする方法だったが、ノズルが上にあり、燃料タンクは下にあった。これはジャイロスコープなどの誘導装置を持たない場合、ゴダートが下から持ち上げるより上から引っ張るほうが安定するからだと考えたためであった。しかし実際には重心を下方に置きすぎたために横に飛ぶ状態になり、飛翔した時間は約2.5秒、距離約56m、高さ約12.6m程度であったが、それでも液体燃料ロケットとしては初の飛行であった。 つぎに本格的に計画された液体燃料ロケットは、ドイツのヘルマン・オーベルトが、映画『月世界の女』用に製作した液体燃料ロケットである。これは映画撮影用の模型であって飛行能力は持たず、製作途中に事故で破損してしまい、オーベルトは失意で故郷トランシルヴァニアに帰ってしまった。しかしオーベルトの考え方に間違いはなく、1930年7月23日には2分割式の燃焼室を持つ円錐型ロケットエンジンを開発しドイツ国立化学工学研究所で燃焼実験に成功させているし、第二次世界大戦中はV2ロケットの研究に携わり、戦後はフォン・ブラウンの薦めもあってアメリカにわたって軍事用ロケットの研究に携わっていた時期もある〔大澤弘之 監修『新版 日本ロケット物語』p.33–36 2003年9月29日発行〕。 実際に液体燃料ロケットが世に出たのが、ナチス・ドイツが「報復兵器」と名づけたV2ロケットである。ヴェルナー・フォン・ブラウンや、先のヘルマン・オーベルトなどの科学者・技術者が集い製作したこのロケットは、アルコールと液体酸素を燃料にし、ジャイロスコープとアナログコンピューターにより誘導され、ロケットエンジンの下にある推力偏向板(ジェットベーン)により向きを変えられるという、現在存在する液体燃料ロケットの原型とも言える構造をしていた。 世界大戦終結後、鹵獲されたV2や多くの科学者・技術者はアメリカとソ連に連行され、それぞれの地でV2と同じような液体燃料ロケットを製作し、冷戦の軍拡競争で作られた弾道ミサイルとしてそのノウハウを広めることとなる。 現在でも、飛ぶ方向を決めるものが推力偏向板からジンバル機構になり、誘導装置がジャイロスコープからレーザージャイロやGPS、制御装置がアナログコンピュータからデジタル式の(現在のような)コンピュータになるなど、時代相応の技術はつぎ込まれているものの、基本的な概念や構造はナチスドイツのV2、ひいてはツィオルコフスキーの描いたものと同じである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「液体燃料ロケット」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Liquid-propellant rocket 」があります。 スポンサード リンク
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