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深尾重昌 : ミニ英和和英辞書
深尾重昌[ふかお しげまさ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [お]
 【名詞】 1. tail 2. ridge 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important

深尾重昌 : ウィキペディア日本語版
深尾重昌[ふかお しげまさ]
深尾 重昌(ふかお しげまさ、慶長3年(1598年) - 寛文12年8月25日1672年10月15日))は、江戸時代初期の土佐藩の家臣。佐川2代領主。通称は出羽。
== 生涯 ==
慶長3年(1598年)、山内一豊の弟・康豊の三男として誕生する。
高岡郡佐川土居付家老の深尾重良の養子となる。寛永7年(1630年)、養父が隠居して家督を継ぐ。なお、重良には養子・重忠がいたが、藩命により重昌が継承することとなり、のちに重忠は南宗深尾家を興している。
重昌は藩主一門や筆頭家老として藩政に重大な関係を持った。特に奉行・野中兼山に対しては、その藩政改革が行き詰まりを見せ、上士から不満を持たれていたため、藩主が山内忠豊に代わると、子の因幡重照や娘婿で家老の山内豊吉とともに連名で、3箇条の訴書を側近の孕石元政生駒木工を通じて藩主の忠豊に提出し、兼山を失脚させるきっかけを作った。
寛文12年(1672年)死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「深尾重昌」の詳細全文を読む




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