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深尾 重昌(ふかお しげまさ、慶長3年(1598年) - 寛文12年8月25日(1672年10月15日))は、江戸時代初期の土佐藩の家臣。佐川2代領主。通称は出羽。 == 生涯 == 慶長3年(1598年)、山内一豊の弟・康豊の三男として誕生する。 高岡郡佐川土居付家老の深尾重良の養子となる。寛永7年(1630年)、養父が隠居して家督を継ぐ。なお、重良には養子・重忠がいたが、藩命により重昌が継承することとなり、のちに重忠は南宗深尾家を興している。 重昌は藩主一門や筆頭家老として藩政に重大な関係を持った。特に奉行・野中兼山に対しては、その藩政改革が行き詰まりを見せ、上士から不満を持たれていたため、藩主が山内忠豊に代わると、子の因幡重照や娘婿で家老の山内豊吉とともに連名で、3箇条の訴書を側近の孕石元政、生駒木工を通じて藩主の忠豊に提出し、兼山を失脚させるきっかけを作った。 寛文12年(1672年)死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「深尾重昌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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