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深尾 重先(ふかお しげもと、1827年 - 1890年1月30日)は、幕末の土佐藩の家臣。10代佐川領主。通称、鼎。 == 履歴 == 父は深尾采女重愷、母は深尾成有の娘。1855年(安政2年)に奉行職に就く。勤王家で尊攘論が沸騰し、一時屏居を命ぜられたが、のちに許され山内容堂に用いられた。 1867年(慶応3年)、徳川慶喜が将軍職を辞した時、容堂に従って上京し尽くすことが多かった。鳥羽・伏見の戦いのとき、容堂とともに土佐兵を抑えようとしたが、水泡に帰す。1868年(慶応4年2月)の堺事件には容堂に代わって事を処し、同年3月に京師詰を命じられ、7月に参内し土佐藩重臣として藩主を補佐した。1869年(明治2年6月)の版籍奉還後の諸政改革にも力を用い、功績を挙げた。1890年(明治23年)1月30日没。64歳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「深尾重先」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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