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深瀬 昌久(ふかせ まさひさ、本名よしひさ、1934年2月25日 - 2012年6月9日)は、日本の写真家。 北海道中川郡美深町生まれ。 「自分とは何か」を追求し続けた写真家として知られ、題材は家族(『洋子』、『家族』)、カラス(『鴉』)を経て最後には水中カメラを使って自分自身を取り続ける(『bukubuku』)までに到達した。 == 略歴 == * 1934年 - 2月25日、深瀬写真館の二代目である父・深瀬助造、母・みつゑの長男として生まれる。 * 1946年 - 北海道立名寄中学校に入学。 * 1949年 - 北海道立名寄高等学校に入学。 * 1952年 - 日本大学芸術学部写真学科に入学。 * 1956年 - 第一宣伝社に入社、広告写真を撮る。 * 1960年 - 初の個展を開催。『コマーシャルフォト』の編集者であった玉田顕一郎の目にとまり、写真評論家・吉村伸哉を紹介される。 * 1961年 - 個展「豚を殺せ!」を開催。 * 1963年 - 「朝がくる」を『カメラ毎日』に発表。 * 1964年 - 日本大学の1年後輩の高梨豊に誘われ、日本デザインセンターに転職。鰐部洋子と結婚。 * 1967年 - 河出書房写真部長に就任。 * 1968年 - 河出書房が倒産、退社しフリーランスとなる。 * 1971年 - 写真集『遊戯』刊行。 * 1974年 - 荒木経惟、東松照明、細江英公、横須賀功光、森山大道とともに「ワークショップ写真学校」を開講(-1976年)。 * 1974年 - ニューヨーク近代美術館「NJP展」、東京国立近代美術館「15人の写真家展」に参加。 * 1976年 - 洋子と離婚。石川佳世子と再婚。 * 1987年 - 1月、父・助造死去、享年74。 * 1989年 - 深瀬写真館が廃業となる。 * 1992年 - 石川佳世子と離婚。個展「私景シリーズ92'」開催直後の6月20日深夜、新宿ゴールデン街にある「南海」の階段から泥酔して転落、脳挫傷のため重度の障害を負う。以降、二度とカメラを手にすることはできなくなった。 * 2012年 - 6月9日、脳出血で死去。78歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「深瀬昌久」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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