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渋川 義俊(しぶかわ よしとし)は、室町時代中期の武将、守護大名。室町幕府九州探題、肥前守護。家系は足利氏の一門渋川氏。父は渋川満頼、母は斯波義将の娘。子に義鏡。 応永26年(1419年)に父が探題職を退いたため、代わって九州探題となる。同年に起きた李氏朝鮮が対馬に侵攻した応永の外寇に対処する。応永30年(1423年)に少弐満貞に博多を攻められて敗れ、肥前山浦城に逃れた。これを機に探題の力は衰退し始め、義俊は応永32年(1425年)に反撃したが、再び満貞の前に敗れたため正長元年(1428年)に探題職を従弟の渋川満直に譲り、自らは筑後酒見城にて隠棲生活を送った。永享6年(1434年)に死去。享年35。 子の義鏡は後に享徳の乱で堀越公方足利政知を伴って関東に下向する。また、斯波氏を継承した斯波義廉は孫に当たる。 ==関連項目== *渋川氏 *勝尾城 *応永の外寇 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「渋川義俊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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