翻訳と辞書
Words near each other
・ 湯泊温泉 (悪石島)
・ 湯波
・ 湯波内駅
・ 湯津上村
・ 湯津上温泉
・ 湯浅
・ 湯浅かえで
・ 湯浅ひとし
・ 湯浅ひろみ
・ 湯浅インターチェンジ
湯浅一郎
・ 湯浅三郎
・ 湯浅与三
・ 湯浅五助
・ 湯浅作兵衛
・ 湯浅信用金庫
・ 湯浅修一
・ 湯浅倉平
・ 湯浅健二
・ 湯浅元禎


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

湯浅一郎 : ミニ英和和英辞書
湯浅一郎[ゆあさ いちろう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ゆ]
 【名詞】 1. hot water 
: [いち]
  1. (num) one 

湯浅一郎 : ウィキペディア日本語版
湯浅一郎[ゆあさ いちろう]

湯浅 一郎(ゆあさ いちろう、明治元年12月18日1869年1月30日) - 昭和6年(1931年6月23日)は、明治・大正・昭和期の日本の洋画家。政治家・湯浅治郎の長男。湯浅八郎は弟。上野国(現・群馬県安中市)出身。
== 経歴 ==
同志社英学校(現・同志社大学)、東京美術学校(現・東京藝術大学)卒業。黒田清輝の天真道場に学び、大正時代の日本の洋画界の重鎮だった。1888年(明治21年)に山本芳翠の生巧館画塾に入塾して芳翠から洋画を学び、1896年(明治29年)には白馬会の結成に加わった。1906年(明治39年)にジブラルタル経由でスペインに渡り、アルヘシーラスグラナダセビリアに滞在した後、マドリードプラド美術館ではいくつかの作品を模写している。特にディエゴ・ベラスケスの『ラス・メニーナス』については「これを見たいためにまずスペインに行ったのであった。この部屋に入ったときは、これを見ればほかに絵を見る必要がないとまで思わせた」と語っている。マドリードには約1年、スペイン全体には約1年半滞在してからフランスに渡り、1908年(明治41年)の第2回文展にはパリで制作した『イスパニア国風景』を出品した。1914年(大正3年)には二科会の結成に参加。1931年(昭和6年)死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「湯浅一郎」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.