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湯浅 直樹(ゆあさ なおき、1983年4月24日 - )は、日本のアルペンスキー選手。スポーツアルペンスキークラブ所属。 == 人物・来歴 == 北海道札幌市出身。札幌市立琴似中学校、北海学園札幌高等学校、北海道東海大学(現在は東海大学に統合)国際文化学部卒業。日本製スキー、ハート(Hart)を使用している。身長177cm 体重74kg。 9歳の時にレーシングチームの札幌SSプロダクツに入りアルペンスキーを始める〔JOCトリノ2006日本代表選手プロフィール 〕。中学生の時には陸上部に所属。走り高跳びで全国3位に入るなど、ずば抜けた運動神経を持つ。 2003年、イタリア「マテオ・バウムガルテン賞」を受賞する。同賞は1996年より世界各国から推薦されたFISレースの成績と学問に秀でた18-24歳のアルペン選手の中から選考委員会が毎年1名の受賞者を決定している。この時100人を超えるイタリアの貴族達の前でイタリア語と英語でスピーチを行なった。 2005年、アルペンスキー世界選手権で18位。FISアルペンスキー・ワールドカップでは下位スタートが災いし、上位30名による2本目進出がなかなか果たせなかったが、2005年12月22日にスロベニアのクランスカ・ゴーラで開催されたFISワールドカップ第3戦で50番スタートから2本目に進出し、2本目に最速タイムを記録して7位入賞を果たした。その後も50番台のスタートに苦しんだが、格下のヨーロッパカップで上位に入るなどスタート順に恵まれないながらトップ選手に遜色ない実力の片鱗を見せていた。 2006年。1カ国4名までエントリー可能なトリノオリンピックでは回転競技で39番とまずまずのスタート順から1本目17位。2本目14番スタートから会心の滑りを見せ、3位のタイムで合計7位まで大きくジャンプアップした。皆川賢太郎と共にコルティナダンペッツォオリンピックでの猪谷千春以来、日本アルペンスキー勢としては50年ぶりの入賞を果たした。 2005年、春にアメリカ・マンモスマウンテンで合宿中に膝を負傷。軟骨が欠けてしまい手術が必要なほどの重症だったがトリノオリンピックのために半年間痛み止めを飲んで我慢していた。薬の飲みすぎで倒れたこともあった。この努力が実を結んだ。 この入賞により、FISワールドカップランキングを大きく上昇させ、上位30名の第2シードに進出(2006年2月末現在)。佐々木明、皆川賢太郎に続く第1シードが期待された。 2009年フランスで行われた世界選手権の大回転競技で予選から勝ち上がった選手の中で唯一トップ30に入り成績を残す。この時のスタート順は出場した選手の中で最後であり、スタート順が大きく左右されるアルペンスキー競技において世界選手権の舞台で最終走者からトップ30に入るという前代未聞の快挙を成し遂げた。 2010年、バンクーバーオリンピックの選考には漏れる。2010年1月17日のW杯回転第5戦までを期限とした日本男子の選考レースで、湯浅は佐々木、皆川に続く3番手の成績だったからである。その後1月26日のW杯回転第7戦は過去2シーズンの日本勢最高となる8位に入った。他の国・地域が返上した枠が予想外に多かったため、1月29日に2枠が日本にも再分配されたが日本スキー連盟は湯浅を追加派遣しなかった。そのことを疑問視する声も聞かれた〔わだかまり捨て4年後目指す アルペンスキーの湯浅直樹 47News、2010年03月31日〕。 2011年、ドイツのガルミッシュで行われた世界選手権の回転競技で6位入賞を果たした。日本人選手としては1991年の川端絵美以来20年ぶり、男子選手では1978年の海和俊宏以来33年ぶりのことであった。オリンピックと世界選手権両方で入賞を果たした日本人は猪谷千春と湯浅直樹の2人だけである。 2011年 - 2012年シーズン、オーストリアのシュラートミングで行われたFISワールドカップ男子回転第8戦で自己最高の5位入賞〔湯浅が自己最高の5位 回転/アルペン サンケイスポーツ2012年1月25日〕。 2012年 - 2013年シーズンのFISワールドカップ男子回転第3戦(マドンナディカンピリオ/)では、1回目の26位から2回目の驚異的なアタックで順位を大きく上げて3位に食い込み、自身初めてFISワールドカップの表彰台に上がった〔湯浅、回転で3位 アルペンスキーW杯初の表彰台 日本経済新聞 2012年12月19日閲覧〕。 これにより湯浅は日本国産のスキーで日本人がワールドカップの表彰台に上がるという日本アルペンスキー史上初の快挙を達成した。 2013年 - 2014年シーズンのFISワールドカップ男子回転第4戦(ボルミオ/)では、一本目21位から二本目でトップのタイムを出して4位に入賞、念願の第一シード入りを果たした。 湯浅の使用しているHARTというスキーは岐阜県で製造されている紛れもない純日本製であり〔読売新聞、2014年2月22日夕刊〕、2011年時点でワールドカップで日本国内産のスキーを使用し上位に食い込んでいるた経歴のあるのは湯浅一人である〔〔。ワールドカップで男女合わせて湯浅を除く全ての選手が日本国外産(主にオーストリア)のスキーを使用している中、湯浅は日本国内産のスキーを使用した日本人が世界一になると言うこだわりと明確な目標を掲げている〔〔。 身上は「死攻」(死んでも攻める)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「湯浅直樹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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