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湯築城(ゆづきじょう)は、愛媛県松山市道後町の県立道後公園内にある河野氏の日本の城跡。堀や土塁が現存する。国の史跡に指定されている。 == 歴史・沿革 == 14世紀前半、伊予国守護河野氏によって築城された。東に追手門、周りに二重の堀をめぐらせた平山城であった。 天正9年(1581年)以後、四国征圧を狙う土佐国の長宗我部元親が伊予に侵入し、城主河野通直は元親と交戦した。 天正13年(1585年)、四国征伐をめざす豊臣秀吉の命を受けた小早川隆景らの軍が伊予に侵攻して金子元宅を攻撃、湯築城は約1ヶ月の篭城の後に降伏した。城にとどまっていた通直は命は助けられたが、2年後に病没した。城は隆景に与えられたが、彼の所領は筑前に移された。 天正15年(1587年)、福島正則が城主となるが、正則が国分山城に居城を移したため、廃城となった。 慶長7年(1602年)、勝山(城山)に松山城の築城が開始され、以降加藤氏(のち蒲生氏、松平(久松)氏)が伊予国松山藩主となる。 明治21年(1888年)、県立道後公園として整備される。 平成14年(2002年)9月20日、国の史跡に指定される。 平成18年(2006年)4月6日、日本100名城(80番)に選定された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「湯築城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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