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源 伊陟(みなもと の これただ)は、平安時代の日本の公卿。 == 官位歴 == *天暦6年正月7日(952年2月5日) 従五位下。(氏爵)。 *天暦9年10月(955年-月-日) 侍従。 *天暦10年9月8日(956年10月14日) 任左兵衛権佐。 *天徳2年 *7月28日(958年8月15日) 左近衛少将。 *8月27日(958年10月12日) 昇殿。 *天徳4年正月25日(960年2月24日) 兼近江権介。 *天徳5年 *正月7日(961年1月26日) 従五位上。 *3月(961年-月-日) 為神賢使。〔宇佐へ出向くが、道中患って備後で引き返す。〕 *8月8日(961年9月20日) 停左少将。権介如元。 *応和3年9月9日(963年9月29日) 任近江権介。 *応和4年3月27日(964年5月11日) 民部少輔。 *天禄3年 *3月20日(972年5月5日) 右少弁。 *12月15日(973年1月22日) 轉左少弁。 *天禄4年 *正月7日(973年2月12日) 正五位下。(弁労)。 *7月26日(973年8月26日) 右中弁。 *天延2年 *正月7日(974年2月1日) 従四位下。(弁労)。 *3月28日(974年4月23日) 昇殿。(花宴時)。 *4月10日(974年5月4日) 補蔵人。 *天延3年正月26日(975年3月11日) 任左兵衛督。停弁。 *天延4年正月28日(976年3月1日) 兼周防権守。 *貞元2年4月14日(977年5月4日) 任参議。 *貞元3年2月3日(978年3月14日) 兼備後権守。 *天元3年正月7日(980年1月27日) 叙従四位上。 *天元4年12月4日(982年1月1日) 正四位下。(造営行事賞)。 *天元5年(982年) 止権守。 *天元6年正月27日(983年3月14日) 兼備中権守。参議如元。 *永観元年11月11日(983年12月17日) 兼近江権守。参議如元。 *寛和元年11月30日(986年1月13日) 叙従三位。(悠紀国司)。 *寛和2年 *3月5日(986年4月16日) 兼播磨守。参議如元。 *8月13日(986年9月19日) 兼近江守。参議如元。 *11月18日(986年12月21日) 正三位。(悠紀国司賞)。 *永延2年2月27日(988年3月17日) 兼右衛門督。参議守如元。 *永延3年 *2月23日(989年4月1日) 任権中納言。止守督。 *11月28日(989年12月28日) 兼太皇太后宮権大夫。 *永祚2年 *正月29日(989年3月9日) 兼右兵衛督。納言権大夫如元。 *2月10日(989年3月19日) 着座。 *正暦5年9月8日(994年10月15日) 兼右衛門督。納言権大夫如元。 *正暦6年正月13日(995年2月15日) 轉中納言。権大夫督如元。 *長徳元年5月22日(995年6月22日) 薨去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源伊陟」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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