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源季広 : ミニ英和和英辞書
源季広[みなもと の すえひろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 
: [き]
 【名詞】 1. season 2. season word or phrase (in haiku) 

源季広 : ウィキペディア日本語版
源季広[みなもと の すえひろ]
源 季広(みなもと の すえひろ、?-正治元年(1199年)?)は平安時代後期の貴族・歌人。源季兼の子、源長俊の父。正五位下下野守。初名は清季。
父は藤原忠通の、子は九条兼実の近臣として知られ、子孫は九条家諸大夫信濃小路家として続くが、季広自身の官位は振わず、歌人としての活動が知られる。久安5年(1149年)に六位蔵人(『本朝世紀』)、仁平元年(1151年)に左衛門尉に任ぜられて(『台記』)、同年9月4日叙爵される(『本朝世紀』)。久寿年間に季広と改名。保元元年(1156年)に松殿基房が元服するとその職事となり、侍所を管轄した。後に基房の子・家房の乳父となっている。保元2年(1157年)に飛騨守となる。基房失脚後の養和元年(1181年)に九条兼実の家司に召されて、文治元年(1185年)に下野守に任じられて一時任国に下向しており、その際に藤原頼輔と和歌のやりとりをしている(『続千載和歌集』)。だが、この時期にはもっぱら、嫡男の長俊の活動が目立つようになる。『明月記』正治元年9月8日条に「人云、季弘死去了、未聞其仔細」と記されている“季弘”が藤原定家と同じ兼実の家司であった季広のことであった可能性がある。
千載和歌集』をはじめとする勅撰和歌集に12首採録され、『続詞花和歌集』・『月詣集』・『今撰集』・『楢葉和歌集』などの私撰集にも多くの和歌が採録され、当時の歌合でも度々参加が記録されている。
== 参考文献 ==

*中村文『後白河院時代歌人伝の研究』笠間書院、2005年、255 - 282頁。ISBN 4-305-70296-7。
*松野陽一「源季広」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-04-031700-7)


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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