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源 宗明(みなもと の むねあきら)は南北朝時代の公卿。従一位、権大納言。宮大納言と号す〔『師守記』貞和5年(1349年)11月1日の条。〕。 父は久良親王(鎌倉幕府第8代将軍久明親王の息子)〔『公卿補任』によれば、父久良親王は二条道平亭で元服しているため、親子そろって二条家の庇護を受けたと考えられる。〕。母は不詳。 『玉英記』や『師守記』の内容から判断すると、宗明が元服する頃に実父の久良親王〔『師守記』によれば、嘉暦3年(1328年)6月13日に源氏姓を賜り従三位に叙せられ、同日に右中将に任ぜられている。〕は既に出家していたため二条家が後見となったのではないかと推測できる〔『玉英記』、暦応元年8月11日の条。『師守記』貞和3年(1347年)6月14日の条。〕。 == 出自 == 参議を経ずに権中納言に任ぜられるという摂関家出身者並の昇進をし最終的には従一位に叙せられるなど、破格の待遇を受けた。 洞院公定の日記『玉英記』の記事に従えば、宗明は久良親王の息男ということになる〔『玉英記』、暦応元年8月11日の条。ただし、洞院公定は暦応2年(1339年)生まれのため、この記録は父祖の記録を引き継いだ記述と考えられる。〕。また、『師守記』の内容から判断すると、当時既に出家していた久良親王(土御門入道親王)から臣籍降下した後に親王に復した例について意見を求められて所見を述べた〔『師守記』貞和3年(1347年)6月14日の条による。〕とあるのは、息男宗明の将来を念頭に置いてのことではないかと推測できる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源宗明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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