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源 定(みなもと の さだむ、弘仁6年(815年)〔『日本三代実録』貞観5年正月3日条の薨伝に記された没年齢49歳より逆算。〕 - 貞観5年1月3日(863年1月25日))は、平安時代前期の公卿。嵯峨天皇の子(第六源氏)。淳和天皇の猶子。官位は正三位・大納言、贈従二位。四条大納言または賀陽院大納言(陽院大納言とも)と号した。 == 経歴 == 幼少より父・嵯峨天皇から寵愛を受け、退位後に淳和天皇の猶子となる。淳和天皇からも実の皇子以上に寵愛を受け、天皇の寵姫・永原原姫をもって母として養育させたことから、世上「定には二父二母あり」と称された。天長4年(827年)淳和天皇は定を親王にすることを、奉書により嵯峨上皇に請うが、受け入れられなかった。 天長5年(828年)源朝臣の姓を賜与され、天長8年(831年)元服する。天長9年(832年)には従三位に直叙されるとの特別な待遇がなされ、18歳の若さで公卿に列した。翌年の天長10年(833年)に参議に任ぜられ、治部卿・中務卿を歴任した。承和7年(840年)淳和上皇の服喪のため参議を辞し、承和9年(842年)にも嵯峨上皇の服喪のため一時的に官職を辞した。承和14年(847年)復官して再び参議となる。嘉祥2年(849年)中納言になり、貞観元年(859年)には大納言に昇った。貞観5年(863年)正月3日薨去。享年49。最終官位は正三位大納言兼右大将。即日従二位を追贈された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源定」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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