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源 師賢(みなもと の もろかた)は平安時代中期から後期にかけての貴族・歌人。 == 経歴 == 宇多源氏の出身で、長元8年(1035年)に参議・源資通の長男〔『弁官補任』『蔵人補任』は次男とする。〕として生まれる。 叙爵後、少納言を経て康平6年(1063年)に後冷泉天皇の五位蔵人に補任される(当時の位階は正五位下)。同年12月には右少弁に任ぜられ、以後弁官の道を進むこととなる。治暦4年(1068年)に後冷泉天皇が崩御して後三条天皇が即位するが、引き続き五位蔵人に補せられた。さらに左少弁に昇任し木工頭を兼任。延久3年(1071年)には斎宮長官も兼ねた。 延久6年(1074年)に安芸権介を兼帯し、承保2年(1075年)従四位下・権右中弁に叙任される。承保3年(1076年)に従四位上、承保4年(1077年)には正四位下・権左中弁になり、承暦4年(1080年)には左中弁、さらに白河天皇の蔵人頭に補任されて修理右宮城使を兼ねるなど順調に昇進を重ねるが、その7か月後の永保元年(1081年)7月2日、47歳で卒去した。最終官位は蔵人頭左中弁正四位下(兼木工頭修理右宮城使)。 弟の政長とともに宇多源氏の家業である管弦の道を継いで、和琴の名手として知られた。また、歌人として名を挙げ、『後拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に16首が入る〔『勅撰作者部類』。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源師賢」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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