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源忠清 : ミニ英和和英辞書
源忠清[みなもとただきよ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 

源忠清 : ウィキペディア日本語版
源忠清[みなもとただきよ]

源 忠清(みなもと の ただきよ)は平安時代中期の公卿兵部卿有明親王の長男。官位正三位参議
== 経歴 ==
天暦2年(948年醍醐天皇の孫であることを以て従五位下叙爵。天暦4年(950年侍従に任ぜられ、応和元年(961年右馬頭を務める。
応和4年(964年紀伊権守に任ぜられる。康保4年(967年冷泉天皇即位に伴って従四位下に叙位、昇殿を聴され、同時に立太子した守平親王(後の円融天皇)の春宮亮に任ぜられる。安和2年(969年)正月に備前守に任ぜられる。同年3月、叔父源高明安和の変により失脚するが、8月に守平親王の即位に従って正四位下に叙された。安和3年(970年右近衛中将に補任。
天禄2年(971年尾張権守を兼任。天禄3年(972年)左近衛中将に遷り、天禄4年(973年参議に任ぜられて公卿に列す。天延2年(974年)には従三位大和権守に叙任され、程なく伊予守を兼ねる。さらに天延3年(975年)には右兵衛督も兼帯した。
近江守備中権守を歴任し、寛和元年12月(986年2月)皇太后宮権大夫に任ぜられる。寛和3年(987年)に正三位・太皇太后宮権大夫に叙任されるが、永延2年(988年)2月21日に薨去享年46。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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