|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 源 : [みなもと, げん] 【名詞】 1. source 2. origin
源 忠清(みなもと の ただきよ)は平安時代中期の公卿。兵部卿・有明親王の長男。官位は正三位・参議。 == 経歴 == 天暦2年(948年)醍醐天皇の孫であることを以て従五位下に叙爵。天暦4年(950年)侍従に任ぜられ、応和元年(961年)右馬頭を務める。 応和4年(964年)紀伊権守に任ぜられる。康保4年(967年)冷泉天皇の即位に伴って従四位下に叙位、昇殿を聴され、同時に立太子した守平親王(後の円融天皇)の春宮亮に任ぜられる。安和2年(969年)正月に備前守に任ぜられる。同年3月、叔父・源高明が安和の変により失脚するが、8月に守平親王の即位に従って正四位下に叙された。安和3年(970年)右近衛中将に補任。 天禄2年(971年)尾張権守を兼任。天禄3年(972年)左近衛中将に遷り、天禄4年(973年)参議に任ぜられて公卿に列す。天延2年(974年)には従三位・大和権守に叙任され、程なく伊予守を兼ねる。さらに天延3年(975年)には右兵衛督も兼帯した。 近江守、備中権守を歴任し、寛和元年12月(986年2月)皇太后宮権大夫に任ぜられる。寛和3年(987年)に正三位・太皇太后宮権大夫に叙任されるが、永延2年(988年)2月21日に薨去。享年46。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源忠清」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|