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澤 宣種(さわ のぶたね、弘化4年4月29日(1847年6月12日)〔『平成新修旧華族家系大成』上巻、693頁。〕 - 没年不詳)は、幕末の公家、明治期の華族。 ==経歴== 澤為量の三男として生まれる〔。父の養嗣子となっていた澤宣嘉の養子となる(更に宣嘉の嫡男・宣量を養子とした)〔。よって、姉小路公知は義従兄弟にあたる。妻は松平斉韶の娘・里子(のち離縁して細川行真の後室となる)。廷臣二十二卿列参事件加担者の一人。主水正、大学大丞を歴任〔。 1873年(明治6年)9月の養父の死後は、実父の為量が再度家督を継承し〔『明治維新人名辞典』465頁。〕、1876年(明治9年)9月21日に廃嫡〔。1889年(明治22年)2月6日に分家した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「澤宣種」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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