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浜田 雅功(はまだ まさとし、1963年5月11日 - )は、日本のお笑い芸人、漫才師、司会者、俳優、歌手、声優であり、お笑いコンビ・ダウンタウンのツッコミ担当である。 == 略歴 == 大阪市浪速区大国町で生まれる。父は大阪万博にてソ連館のペンキ塗りを請け負っていたペンキ屋に勤めていた。幼稚園へあがる頃に尼崎市へ移る。それまでは芦屋市で家族で暮らしていた〔浜ちゃんもゆく:浜田雅功(超)伝説(ダウンタウン探険隊 編、鹿砦社 1996年)「第1章 やんちゃ坊主・浜ちゃんの幼年時代」より〕。放送作家の高須光聖とは幼稚園時代からの付き合い。小学校時代に松本と出会う。1979年、三重県にある当時全寮制の日生学園高等学校(現在は桜丘高等学校)に入学し、2年次に開校にともない移動した全寮制の日生学園第二高等学校(現在は青山高等学校)を卒業。在学時は白光寮の副学寮長を務める。全寮制で抑圧が厳しい生活をしていたので、三色の歯磨き粉が発売されていたことを知らず、卒業後に知ってから驚いたという。高校卒業後の目標は特になかったため、父親の提案で競艇選手の試験を受けたが落第している〔浜ちゃんもゆく:浜田雅功(超)伝説「第4章 浜ちゃんの硬派な高校生活」より〕。 1982年、小学校から中学校時代の同級生である松本人志を誘って吉本興業入り。同社の若手タレント養成所「吉本総合芸能学院(NSC)」第1期生となる。当初は「松本・浜田」というコンビ名であったが、その後改名により「ひとしまさし」「てるお・はるお」「ライト兄弟」を経て、「ダウンタウン」となった。 『4時ですよーだ』(毎日放送)で関西地区での人気を不動のものにする。(この時、同級生の高須光聖もこの作品でデビュー)ほどなくして上京、『夢で逢えたら』『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)などで人気を博し、全国区タレントとして広く名を知られるようになる。1990年前後にはウッチャンナンチャン・とんねるず・B21スペシャルらと共に「お笑い第三世代」として一大ブームを巻き起こした。以後、お笑いのみの活動にとどまらず、俳優、声優、歌手としても活動し、ピンでは司会業を務める事も多い。 妻に小川菜摘(1990年より)、長男にハマ・オカモト、次男〔女優・土屋太鳳とは、幼稚園、小学校時代の同級生だった。〕がいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「浜田雅功」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Masatoshi Hamada 」があります。 スポンサード リンク
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