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濱谷浩 : ウィキペディア日本語版
濱谷浩[はまや ひろし]
濱谷 浩(はまや ひろし、1915年3月28日 - 1999年3月6日)は、戦前戦後を通じての日本の写真家である。主として、報道写真系統の作品、特に、日本(人)を対象とする写真を多く撮影した。東京都出身。田中雅夫写真評論家)は兄。デュークエイセス槇野義孝。また写真家の桑原甲子雄は隣家の幼なじみで、若き日ともに写真に親しんだ。
== 人物・来歴 ==
敬愛する渡辺義雄のいたオリエンタル写真工業(現在のサイバーグラフィックス)に入社。当初(1930年代)は、東京を対象とするモダンな作品を制作していた。1939年に新潟県高田市(現在の上越市)を訪問、市川信次と出合う。翌年より本格的に雪国の習俗を記録。以後、日本の風土と人を撮影し始め、戦後まで続くライフワークとなった。民俗写真についてはアチック・ミュージアムを主宰していた渋沢敬三の強い影響があった。1941年東方社に参加し対外宣伝誌『FRONT』の写真を撮影するが、疑問をもち退社。その後、小平利勝が主催した外務省の外郭団体「太平洋通信社(PNP)」に所属。のちに横須賀海兵団に入隊するが、健康上の理由で除隊。
1954年、『裏日本』の撮影を開始。1955年、富山県「アワラの田植え」を『中央公論』に発表。胸まで泥につかる田植えの写真は、排水工事など改善のためのきっかけをつくった。1956年、日本各地を「見る」というテーマで『中央公論』のグラビアを担当。後の公害問題につながる各地の危機的な状況を報告。1960年にはマグナム・フォトの日本人初となる寄稿写真家となった(濱谷以降では2011年初頭現在、久保田博二(正会員)しかいない)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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