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瀧 正雄(たき まさお 1884年(明治17年)4月14日 - 1969年(昭和44年)8月12日)は、日本の政治家、法学者。衆議院議員、貴族院議員をつとめ、近衛文麿の家老格の側近として知られた。 == 来歴 == === 戦前 === 愛知県出身。愛知一中、五高を経て、京都帝国大学法科大学政治学科に入り、1911年(明治44年)7月に京都帝国大学卒業、大学院に入学。1912年(大正元年)10月から1916年(大正5年)6月まで京大法科講師を勤める。 1917年(大正6年)4月衆議院議員に無所属で当選。 1918年(大正7年)10月から1922年(大正11年)6月まで内務大臣秘書官。1932年(昭和7年)6月から1934年(昭和9年)7月まで外務政務次官。1937年(昭和12年)6月4日には第1次近衛内閣で法制局長官となるが、同年10月25日に親任官の企画院総裁に任じられ(〜1939年(昭和14年)1月11日)、これにより同年12月に貴族院勅選議員に勅任される。以後無所属倶楽部から昭和研究会に所属。阿部内閣後の後継首班候補に杉山元を擁立するための策動が知られる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「瀧正雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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