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火葬場(かそうば、crematory)とは、死体を火葬するための施設。本項では主として日本の火葬場について記す。 法的には、墓地、埋葬等に関する法律(昭和二十三年五月三十一日法律第四十八号、最終改正:平成二三年一二月一四日法律第一二二号)の第二条7において「この法律で「火葬場」とは、火葬を行うために、火葬場として都道府県知事の許可をうけた施設をいう。」と、規定されている。 現代では斎場(さいじょう)とも称されるが、これは本来、祭祀儀礼を行う場所および、祭祀儀礼を行う施設全般を指す呼称であり、火葬設備を有せず通夜・告別式のみ行う施設で斎場と称するものも多い。また、「斎苑」、「葬斎場」を名乗る施設も多いが、火葬場ではない葬儀施設である場合もあるので、混同しない注意が必要である。2011年現在日本の火葬率は99.9%に上る。 == 歴史 == === 古代 === : 火葬は、日本では宗教的要請から発生したとする説が有力である。当初は恒久的な「火葬場」は設けられず、高貴な身分層の火葬では周囲に幕や板塀などを巡らせた火床をその都度仮設して火葬が行われていた。〔玉腰芳夫『古代日本のすまい』ナカニシャ出版、昭和55年)178頁〕 : 奈良時代後半から平安時代まで、天皇の火葬を行う場所は「山作所」と呼ばれていた。これは天皇の火葬を行った跡地は陵墓に準ずる「火葬塚」を築造することが多く、皇族御用の林野作業所や陵墓営繕工事現場を表す「山作所」の呼称をあてたものと思われる。また、同じころ天皇家以外では火葬を行う場所を「三昧」(さんまい)または「三昧場」と呼ぶようになった。 : 中世に近づくと庶民にも火葬を行う者が現れ、人里離れた野原で木薪を組み上げてその上に遺体を載せてで焚焼していた。このように火葬を行うための建物や炉などの恒久的設備を設けず野外で行う火葬は「野焼き」と呼ばれており、江戸時代末までは大多数の火葬場が「野焼き場」だった。野焼き場は明治時代より急速に減少するが、地域によっては県知事から正式な火葬場としての許可を受けて、平成に入ってからも存続しており、極わずかだが使用されている野焼き場もある。〔特に新潟県や広島県に多く現存している。厚生労働者衛生行政報告例統計、両県の衛生統計資料より〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「火葬場」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Crematory 」があります。 スポンサード リンク
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