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熊川 哲也(くまかわ てつや、1972年3月5日 - )は、日本の北海道出身のバレエダンサー・振付家である。バレエ団「Kバレエカンパニー」主宰。愛称は、テディ(Teddy)。血液型はA型。身長174cm。 == 略歴 == 北海道旭川市生まれ。父親は富良野市出身〔「プリンシパルへの道 熊川哲也の青春」44頁〕。3歳の時に父の転職に伴い、札幌市に移る〔。10歳の時、従弟の高橋宏尚(現・英国ノーザンバレエシアタープリンシパル)の影響でバレエを習い始める〔「プロ力 - 仕事の肖像」、29 - 30頁〕。久富淑子、久光孝生に師事〔「プロ力 - 仕事の肖像」、41頁〕。 1986年(昭和61年)、14歳のときに参加した講習会で、世界的名バレエ教師のハンス・マイスターにその才能を認められ、翌1987年(昭和62年)9月英国ロイヤルバレエ学校に留学〔「プロ力 - 仕事の肖像」、30 - 31頁〕〔「プリンシパルへの道 熊川哲也の青春」48-49頁〕。在学中の1988年(昭和63年)、日本人としては初めてソ連(当時)・ペテルブルクのマリインスキー劇場で踊った〔「Made in LONDON」、66 - 67頁〕。翌年には、第17回ローザンヌ国際バレエコンクールに出場、日本人初の金賞を受賞し〔、その演技は絶賛された〔同コンクールでは、決選以外は拍手を禁止されているが、予選の段階から観客の拍手が鳴り止まなかった。また、当時のテレビ解説者が熊川のドン・キホーテのバジルを評して「少し芝居がかっていますが、素晴らしいですね。彼は既にプロとしてやっていけます。今は膝下が少し短いようですが、成長すればそれも…。」とコメントした。なお、このコンクールの解説者は、クロード・ベッシー元オペラ座バレエ学校校長と混同されがちだが、東京大会の解説者はヴィオレット・ヴェルディである。〕。 1989年(平成元年)2月、英国ロイヤル・バレエ団に東洋人として初めて入団し〔「プロ力 - 仕事の肖像」、31 - 32頁〕〔「プリンシパルへの道 熊川哲也の青春」66頁〕、同年7月にバレエ団最年少でソリストに昇進〔「プリンシパルへの道 熊川哲也の青春」76頁〕。12月にはケネス・マクミランの新作『パゴダの王子』の道化役に抜擢される〔「プリンシパルへの道 熊川哲也の青春」76-77頁〕。1991年(平成3年)ファースト・ソリスト〔「プリンシパルへの道 熊川哲也の青春」82頁〕、1993年(平成5年)5月にプリンシパルに昇格〔〔「プリンシパルへの道 熊川哲也の青春」87-88頁〕。天性の体のバネを生かした、滞空時間の長い跳躍と切れ味鋭い回転が持ち味で、『ドン・キホーテ』のバジルを始め、数多くの作品に出演した。1996年には、ロイヤルの男性プリンシパル4人とともに、初のセルフプロデュース公演「メイド・イン・ロンドン」を日本で行い成功させる〔「プロ力 - 仕事の肖像」、33頁〕〔。同バレエ団には約10年間在籍し、世界各国の舞台で踊る。1998年(平成10年)に退団した〔「プロ力 - 仕事の肖像」、34頁〕。 その後99年1月に熊川は、自らKバレエカンパニーを創立〔〔。以来国内外で活動を続ける傍ら同カンパニーの芸術監督としてプロデュース・演出・振付なども手がけ、現在は年に二度の全国ツアーを中心に、年間約10万人の観客を動員し公演を行う。主な上演作品には「ドン・キホーテ」「白鳥の湖」「ロミオとジュリエット」「海賊」「シンデレラ」「くるみ割り人形」など古典作品の改訂を中心に、サー・フレデリック・アシュトン、ジョージ・バランシン、ローラン・プティによる作品、熊川自身による新作振付や、若手振付家による作品の上演も行っている。マヤ・プリセツカヤ、シルヴィ・ギエム、ダーシー・バッセル、吉田都など、内外の有名ソリストとの共演も多い。 2007年(平成19年)5月15日に札幌市で行われた『海賊』の公演中、ジャンプの着地の際に右ひざをひねり公演途中で舞台を降板した。翌日、都内病院で右膝前十字靭帯損傷と診断され、約20年間のバレエキャリアで初めて代役を立てる事態となったが、翌年3月の新作『ベートーヴェン 第九』で復帰した。 2011年(平成23年)6月30日に、2012年からBunkamura オーチャードホールの芸術監督に就任することが発表される。任期は5年〔熊川哲也がBunkamura オーチャードホールの初代芸術監督に就任 (シアターガイド、2011年6月28日)〕。 2003年Kバレエカンパニーの附属バレエスクールとして、Kバレエスクールを設立〔。小石川、恵比寿、吉祥寺、横浜、福岡で開校する。特に小石川校ではプロダンサーを目指す子ども達を対象にするため、オーディション制をうたっている。 またそれぞれのスタジオでは、大人のためのバレエスタジオ「バレエゲート」を併設している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「熊川哲也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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