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熊 斌(ゆう ひん、)は、中華民国(台湾)の軍人・政治家。馮玉祥側近として国民軍で要職に就き、後に国民革命軍に合流した。また、塘沽協定締結の際の中国側首席代表としても知られる。字は哲明、哲民。 == 事績 == === 国民軍での昇進 === 1909年(宣統元年)、広西農業中学に入学したが、まもなく広西陸軍混成協幹部学校に転入した。翌年、東三省陸軍講武堂第4期歩兵科に進学し、1911年(宣統3年)7月に卒業している。卒業直後に勃発した武昌起義(辛亥革命)には革命派として参戦し、同年12月に湖北軍北伐第1軍参謀に任命された。中華民国が成立した後の1912年(民国元年)4月、北京政府参謀本部参謀となる。1914年(民国3年)に陸軍大学第4期生として入学し、1916年(民国5年)12月に卒業した。〔徐主編(2007)、2389頁。〕〔劉国銘主編(2005)、2395頁。〕 1922年(民国11年)、熊斌は河南督軍馮玉祥の配下となり、督軍公署上校顧問兼軍官戦術研究会主任顧問となった。翌1923年(民国12年)1月、馮が陸軍検閲使に転じると熊もその顧問に任ぜられている。5月には南宛高級軍官教導団教育長も兼任した。1924年(民国13年)9月、陸軍第11師参謀長に昇進し、10月の北京政変(首都革命)にも参与する。国民軍が結成されると第1軍参謀長兼鎮威上将軍公署顧問となった。1925年(民国14年)1月、国民軍訓練副監兼軍官教導団団長となり、同年5月には西北辺防督弁公署参議となる。7月、陸軍少将位を授与され、12月には北京政府陸軍次長に就任した。1926年(民国15年)3月、陸軍中将に昇進し、5月には西北辺防督弁公署総参議に昇格した。その後、五原誓師を経て、国民聯軍総司令部参賛となる。〔〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「熊斌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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