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福ノ里 牛之助(ふくのさと うしのすけ、本名:田中 牛之助(たなか うしのすけ)、1923年12月3日-1995年9月16日)は、福岡県八幡市折尾町(現・同県北九州市八幡西区折尾)出身で、宮城野部屋と高島部屋に所属した大相撲力士。最高位は東前頭13枚目(1954年1月場所)。現役時代の体格は176cm、85kg。得意手は右四つ、内掛け、小股掬い、引っ掛けなど。 == 来歴・人物 == 16歳の時に上京し、元横綱・鳳が率いる宮城野部屋へ入門。1940年5月場所で初土俵を踏んだ。 その後、師匠・宮城野親方の娘と結婚。 序ノ口に付いた時から「福ノ里」の四股名で相撲を取ったが、これは、故郷の福岡県に因んでいる(一時「牛若丸」に改名した時期もあったが、直ぐに元の「福ノ里」へ再改名している。なお、現役晩年は、「福乃里」と名乗っていた)。 体は小さかったが順調に出世し、1947年6月場所で新十両に昇進した。 1951年11月に師匠(鳳谷五郎)が亡くなった事に伴い、高島部屋へ移籍。 その後は長く十両に在ったが、1953年5月場所にて新入幕を果たした。初土俵から丸13年と長い年月を要したが、以後は多彩な技を武器に、幕内下位から十両で活躍した。 入幕2場所目の1953年9月場所では、後に大関へ栄進する大内山を破っている。 その後、横綱・吉葉山が開いた吉葉山道場へ移った(吉葉山道場は、福ノ里が現役を引退した翌年の1960年、既に現役を引退して「一代年寄」となっていた元・吉葉山が年寄・宮城野を襲名した事に伴い「宮城野部屋」へ改称した)。 1959年9月場所後、35歳で引退。 引退後は相撲界に残らず、東京都内でプラスティック工場などを経営したという。 1995年9月16日、逝去。享年71。 法政大学硬式野球部OBで、プロ野球のオリックス・バファローズ、広島東洋カープに在籍していた田中彰は、孫に当たる。 また、俳優の滝田栄は、義理の従甥(福ノ里の妻の従兄弟が滝田の親)に当たる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福ノ里牛之助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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