|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 野 : [の] 【名詞】 1. field ・ 尚 : [なお] 1. (adv,conj) (uk) furthermore 2. still 3. yet 4. more 5. still more 6. greater 7. further 8. less ・ 信 : [まこと, しん] 1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion
狩野 尚信(かのう なおのぶ、慶長12年10月6日(1607年11月25日) - 慶安3年4月7日(1650年5月7日))は江戸時代初期の狩野派の絵師。狩野孝信の次男で、狩野探幽の弟、狩野安信の兄。子に狩野常信がいる。通称は主馬、自適斎と号した。 ==略歴== 慶長12年(1607年)京都に生まれる。元和元年(1623年)徳川家光上洛の際、17歳でお目見えし、家光から絵事を申しつけられた。元和4年(1618年)父・孝信が亡くなると、5歳年長の探幽は既に別家したため、尚信が父の跡を継ぐことになる。 兄探幽に続き、寛永7年(1630年)江戸に召され、竹川町に屋敷を拝領し、幕府の御用絵師となる。同族の狩野甚之丞の娘と婚姻し、息子・常信が生まれる。探幽の画風を素早く習得し、二条城、聖衆来迎寺、知恩院障壁画の制作では兄と共に参加し、その画業を補佐した。 私生活においては、ふらりと京都に旅行に出て小堀遠州を訪ねたり、実際は病死したと伝えられるが、失踪して中国に行こうとした、あるいは魚釣りに出かけて溺死したという逸話が作られるなど、飄々と生きた趣味の自由人といった人柄を伝えている。 弟子は多くなかったらしく、子の常信を除くと、林作之丞信春、狩野徳入信吉、平戸松浦藩御用絵師・片山尚景の3名のみが挙げられている(『古画備考』)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「狩野尚信」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|