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猪野 省三(いの しょうぞう、1905年7月20日 - 1985年1月8日)は、日本の児童文学作家。プロレタリア児童文学の活動などに参加した〔『日本児童文学体系30』 p.527〕。 == 略歴 == 栃木県上都賀郡鹿沼町(現:鹿沼市)で生まれた。父・春吉は一時鹿沼町の町長も勤めていた〔『日本児童文学体系30』 p.595〕。1923年に、宇都宮中学校を卒業。卒業後は小学校の代用教員として勤務した。 1926年に教職を辞めて上京し、画家を志して太平洋画研究所に入所。江馬修らと知り合い、翌年江馬の紹介で日本プロレタリア芸術連盟に加入。はじめは画家として参加していたが、次第に文学に関心を持ち、1928年に初の童話「ドンドンやき」を『プロレタリア芸術』に発表。その後も相次いで童話を発表し、プロレタリア児童文学者として認知されるようになった〔『日本児童文学体系30』 p.596〕。ほかに『戦旗』などに童話や評論を発表し続けた。しかし1931年ごろから『戦旗』や『少年戦旗』への弾圧が厳しくなり、猪野も監視下におかれたり、留置場生活をおくることもあった〔『日本児童文学体系30』 p.597〕。 1934年に日本プロレタリア作家同盟が解散し、猪野の児童文学者としての活動も休止した。また同年浅井千鶴と結婚。翌年長女が生まれ、1941年までに1男4女をもうけた〔『日本児童文学体系30』 p.598〕。1945年には東京の住居が戦災にあい、帰郷。 終戦後の1946年に児童文学者協会が創立され、猪野も参加。児童文学者としての活動を再開した〔。同協会の機関紙『日本児童文学』に作品を発表する他、『少年少女の広場』『子どもの村』『文学教育』などで作品を発表。1953年には日本児童文学全集(河出書房)で、『猪野省三集』が発行された〔。 1974年に肺炎を患い、翌年の1975年には脳血栓を発症〔『日本児童文学体系30』 p.601〕。療養をつづけていた。1985年に死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「猪野省三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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