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王将太鼓(おうしょうだいこ)は、大阪市浪速区の新世界で結成された日本最初のプロ和太鼓集団〔『京都新聞』 『関西新聞』 『大阪新聞』 『読売新聞』 1966年(昭和41年)2月24日付版〕。1966年(昭和41年)2月22日、関西プロダクション株式会社(当時、和田四郎社長・会社は現存していない)所属のもと小林潤一郎(当時51歳)を代表に6名の奏者によって結成された。吉本興業と契約して「なんば花月」(現在の「NGKなんばグランド花月」)「うめだ花月」「京都花月」など関西、中京エリアの主要舞台を中心として精力的に活躍していたが、最年少メンバーであった高山正行(当時24歳)の脱会を機に同年11月解散。幻の太鼓チームとなった。 == 来歴 == 後年、王将位となる稀代の棋士・阪田三吉の大成を祈って団扇太鼓を打ちたたく妻・小春の、まさしく「炎のような姿」〔劇作家北条秀司の代表作『王将』より〕を音の世界で再現しようとしたのが結成の契機。運営には和太鼓界で初めて大手芸能事務所が携わった。マスコミ向けの初披露は1966年(昭和41年)2月23日、大阪のシンボルである「通天閣」にて大々的に行なわれ、このニュースは関西新聞など新聞各紙が「芸能界初のプロ太鼓打ち誕生」と大きく取り扱った〔『京都新聞』 『関西新聞』 『大阪新聞』 『読売新聞』 1966年(昭和41年)2月24日付版〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王将太鼓」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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