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王 曉籟 (おう ぎょうらい)は中華民国・中華人民共和国の実業家・銀行家・政治家。早期から革命派人士として活動し、後に上海商業界の要人として台頭した。なお、杜月笙らと共に青幇の一員と目される。〔東亜問題調査会編(1941)、10頁。〕名は孝賚。号は初め得天、後に曉籟と改めた。 == 事績 == === 上海経済界での台頭 === 1907年(清光緒33年)、地元で光復会に参加したが、秋瑾事件後に上海へ逃れている。1910年(宣統2年)、王彬彦らと闡北商団を結成し、後に王曉籟自身も父業の「大来絲業」を継承し、さらに出資して複数の製糸工場を運営した。翌年、上海で辛亥革命の蜂起が発生すると、王曉籟らの闡北商団も革命派に呼応して挙兵している。〔徐主編(2007)、180頁。〕〔東亜問題調査会編(1941)、10-11頁。〕 1913年(民国2年)の第二革命(二次革命)以後、上海商業銀行、中央信託公司の董事(理事)、上海総商会会董、上海闡北商会会長、上海租界納税華人会主席などの要職を歴任し、上海商業界を代表して関税会議にも列席している。1926年(民国15年)7月、上海商会の推薦により広州で蒋介石と会談し、北伐軍誓師大会にも出席した。翌年の上海労働者による第3次蜂起では、王曉籟も闡北保衛団に指示してこれに呼応させている。蜂起が成功に終わった後、王は商会代表として上海臨時市政委員会主席委員に任ぜられた。〔〔東亜問題調査会編(1941)、11頁。〕 しかし同年4月の上海クーデター(四・一二政変)に際して、王曉籟は反共の蒋介石を支持した。クーデター後、王は江蘇兼上海財政委員会常務委員、財政部特税処副処長、全国巻煙税局局長などの職を歴任している。1930年(民国19年)、上海市商会の改組とともに、理事長に任ぜられ、あわせて全国商会聯合会理事長にも就任した。〔〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王曉籟」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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