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王 賁(おう ほん〔『史記』白起王翦列伝注『史記索陰』によれば、「賁音奔」とあり、賁は「ほん」と読む。〕、生没年不詳)は、中国戦国時代から秦代にかけての秦の将軍。字は典〔『新唐書』宰相世系表二中による。〕。頻陽東郷(現在の陝西省富平県東北部)の人。王翦の子。王離の父。魏・燕・代・斉を滅ぼして、秦の天下統一に貢献した。 == 経歴 == 紀元前226年(始皇21年)、王翦と燕を攻め、燕都の薊を陥落させ、燕王喜を遼東に逃亡させた。 紀元前225年(始皇22年)、魏を攻め、黄河の水を魏都の大梁に引いてこれを包囲し、魏王假を降伏させ、魏を滅ぼした。 紀元前222年(始皇25年)、燕の遼東を攻め、燕王喜を捕え、燕を滅ぼした。さらに、代(趙の滅亡後に趙の王族が代に逃れて樹立した政権)を攻め、代王嘉を捕え、代を滅ぼした。 紀元前221年(始皇26年)、李信・蒙恬と共に燕を南下して斉を攻め、斉都の臨淄を包囲し、斉王建を降伏させ、斉を滅ぼした。かくして、秦は、天下を統一した。 紀元前219年(始皇28年)、通武侯に封じられる。 子孫は、いわゆる琅邪王氏・太原王氏になったとされる〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「王賁」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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