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田中 智美(たなか ともみ、1988年1月25日〔 - )は、日本女子の陸上競技選手。専門種目は長距離走・マラソン。 == 経歴・人物 == 1988年1月25日、千葉県成田市出身〔。玉造幼稚園、成田市立成田小学校を経る。本人は走る事が苦手と自認していたが、周囲では「小さい時からかけっこが速かった」との評判だった。「成田市ロードレース大会」で小学校5年(1998年),小学校6年(1999年)と優勝し、頭角を現した。成田小学校時代の2年後輩にプロ野球選手の唐川侑己(投手。千葉ロッテマリーンズ)がいる。その後、成田市立成田中学校(同級生に、船山貴之〈サッカー選手。フォワード(FW)。栃木SC→松本山雅FC→川崎フロンターレ→ジェフユナイテッド市原・千葉〉がいる),千葉英和高等学校に進学するも県大会出場がやっとで、全国高等学校駅伝競走大会はおろか、インターハイなどの全国大会の出場は無かった。 高校卒業後は玉川大学に進学。当初は教師志望だったが、陸上競技も続けたかったため半ば門前払いを受けながら〔玉川大学陸上競技部は全日本大学女子駅伝対校選手権大会に1999年以降、連続して出場している程の強豪校である。〕も陸上部に入部。大学時代も全国大会での出場経験はなかったが、ここで勝負勘を養った。そうした田中の走りに注目した第一生命保険・山下佐知子監督の勧誘を受けて、2010年に大学卒業後、第一生命に入社。入社後は、同僚の尾崎好美(2012年ロンドンオリンピック女子マラソン日本代表)の練習相手として実力を着実に上げた。そして、2011年の第31回全日本実業団対抗女子駅伝競走大会でアンカー(6区)を務め、第一生命の9年ぶり2度目の優勝に貢献した。翌2012年には全日本実業団ハーフマラソンで、自身初の全国大会優勝を飾った。2014年の第34回全日本実業団対抗女子駅伝競走大会では5区で5人抜きの快走を見せ、区間2位と好成績を残した。2015年現在は、第一生命のキャプテンを務めている。 マラソンを始めたきっかけは、シドニーオリンピックで高橋尚子が金メダルを獲得した事である。尾崎好美にも触発され、2014年3月9日に開催された名古屋ウィメンズマラソンでフルマラソンデビューを果たした。そして、いきなり2時間26分05秒のタイムで4位〔当初首位のマリア・コノワロワ(ロシア)がドーピング違反で失格により、5位の田中は4位に繰り上がった。〕に入賞した(日本人選手では木崎良子・早川英里に次いで3位)。この大会での実績が認められ、野口みずきや福士加代子も参加しているナショナルチームの練習に初招集された。その後のマラソン2戦目、世界陸上競技選手権北京大会の女子マラソン日本代表選考も兼ねた、2014年11月16日に開催された横浜国際女子マラソンでは序盤から先頭集団に立ち、2時間26分57秒のタイムで初のフルマラソン優勝を果たした。 国内選考レース(横浜・大阪・名古屋)唯一の日本人選手優勝(男女を通じても優勝は田中のみ)を果たした事で、世界選手権代表入りは濃厚と報道されていた。しかし最後の3枠目の座は、大阪国際女子マラソンで日本人トップの2位〔当初首位のタチアナ・ガメラ=シュミルコ(ウクライナ)がドーピング違反で失格、3位の重友は2位に繰り上がった。〕で田中より18秒先着だった重友梨佐(天満屋)に決まった〔2015年8月30日に世界陸上北京大会・女子マラソンに出場した重友は、結局日本人最下位の14位に終わった。〕ため、田中は世界陸上選手権の女子マラソン日本代表を逃してしまった。 2015年9月27日のベルリンマラソン・女子の部は2時間28分丁度で日本人トップの8位に入る〔女子は田中智美8位、男子は五ケ谷宏司が9位 日刊スポーツ、2015年9月27日記事〕。その後同年12月の第35回全日本実業団対抗女子駅伝等にも出場せず、大好物のビールも一切断ち、オーストラリア・ニュージーランドなどで約70日間の海外合宿を行っていた〔田中智美「決まったものと思っている」とリオ切符に自信…「おいしいビールが飲める」/マラソン サンスポ、2016年3月13日記事〕。 2016年8月開催予定の、リオデジャネイロ五輪女子マラソン代表最終選考会を兼ねた、同年3月13日の名古屋ウィメンズマラソンでは、終始先頭集団に加わった。30Kmでペースアップした同大会2連覇のユニスジェプキルイ・キルワ(バーレーン)を田中一人が追ったものの、33Km過ぎで遅れ始める。その後37Km手前で小原怜(天満屋)が田中に追いついてからは、ゴール地点のナゴヤドームまで壮絶なデッドヒートを繰り広げたが、残り100mで田中がラストスパートで突き放し、3位の小原とは僅か1秒差の2時間23分19秒で自己記録更新・日本選手トップの2位となり、念願のリオ五輪女子マラソン日本代表選出をほぼ確実にした〔陸上:名古屋ウィメンズマラソン2016 田中、小原との激闘を制しリオ代表へ名乗り 優勝はキルワ スポーツナビ、2016年3月13日記事〕。それから4日後の3月17日、念願のリオ五輪女子マラソン日本代表へ正式に選出された〔リオ代表の田中智美 1年越し雪辱 デイリースポーツ 2016年3月17日記事〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田中智美」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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