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田中 浩康(たなか ひろやす、1982年5月24日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(内野手)。 == 来歴・人物 == === アマチュア時代 === 小学校2年生のときに野球を始める。中学2年になる春に千葉県から京都府木津川市木津第二中学校に転校し、ボーイズリーグのチーム、奈良スターズ(現・南京都ニュースターズ)に入団する。 高校は香川県の尽誠学園高等学校に入学し、1年時と2年時に二塁手として全国高等学校野球選手権大会に出場〔高校野球情報.com 独占インタビュー 第50回 田中 浩康選手(2010年8月2日) 〕。 2001年に早稲田大学に入学。1年春から二塁のレギュラーに定着し、東京六大学リーグ戦の全試合に出場。3年秋にベストナインに選出。青木宣親と1・2番、また鳥谷敬と二遊間を組み、走攻守揃った二塁手として活躍する。4年時にはキャプテンを務め、鳥谷が抜けた後のショートも担った。史上24人目となる大学通算100安打以上を放つ。大学通算95試合出場、368打数102安打、打率.277、6本塁打、44打点。 また、大学時代は1年春の開幕明大1回戦に1番セカンドで出場(4打数4三振)して以来、全試合全イニング出場のまま4年秋のシーズンを迎え、「鉄人」とも呼ばれたが、同シーズンの法大戦で左手に死球を受け骨折、その後も試合出場は続けたものの、かすり傷の影響で全イニング出場は叶わなかった。 2年時(2002年)に第1回世界大学野球選手権日本代表メンバーに選出。2年~3年時(2002年~2003年)の2年連続で日米大学野球選手権大会日本代表メンバーに選出される。 2004年のドラフト会議でヤクルトスワローズが自由獲得枠で交渉権を獲得し契約金1億円、出来高払い5000万円、年俸1500万円(金額は推定)で入団した〔朝日新聞、2004年12月2日付朝刊 (19面)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田中浩康」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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