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町野 繁仍(まちの しげより、生年不詳 - 寛永5年(1628年)〔『寛政重修諸家譜』では慶長18年(1613年)11月25日に71歳で死去としている。〕)は、安土桃山時代の武将。町野幸和の父。安井吉秀の次男。妻は蒲生氏郷の乳母。別名幸仍。通称左近将監。 == 生涯 == 元々は近江国蒲生郡にある竹田神社の神職であった。蒲生氏郷の日野時代からの直臣で、氏郷が織田家の人質として岐阜城へ送られた時に従い、本能寺の変の直後には、氏郷と共に日野城に籠城した。 氏郷が松阪に移封された際には、山田奉行として伊勢神宮の支配に関与した。天正15年(1587年)9月には日野の馬見岡綿向神社に銭二百疋を寄進した。 天正18年(1590年)、氏郷が会津に移封された際には子の幸和と共に猪苗代城や二本松城の城代を務め、3万8000石を領した。葛西・大崎一揆、九戸政実の乱の時は蒲生郷安と共に二番手の大将として戦った。郷安が仕置奉行を務めた時、玉井貞右と共に加判を任された。 蒲生秀行の代では真岡城で8000石を給され、仕置奉行となる〔『氏郷記』〕。秀行が会津若松に復領した際は白河城の城代となり、2万8000石を与えられ、仕置奉行を再任する〔『氏郷記』〕。 蒲生忠郷の代に家督を嫡男の幸和に譲り、次男の繁秀と共に故郷の竹田神社に帰った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「町野繁仍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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