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畑尾 大翔(はたお ひろと、1990年9月16日 - )は、東京都練馬区出身のサッカー選手。ポジションは主にディフェンダー(DF)。Jリーグ・ヴァンフォーレ甲府所属。 ==来歴== 5歳(幼稚園の年中)の時にサッカーを始めた〔ユース選手紹介 (2008年) 東京中日スポーツ〕。小学5年生から中学卒業までは三菱養和に所属していたが、雰囲気の良さに惹かれ2006年の高校入学と同時にFC東京U-18へ加入。同年のJサテライトリーグにも出場〔選手出場記録 Jリーグ (2006年11月15日)〕。打点の高いヘディングを武器に〔 FC東京〕2年時にはセンターバック(CB)のレギュラーに定着した。2008年にはキャプテンとして〔FC東京U−18、飽くなき勝利への執着心 高円宮杯 FC東京U−18 vs.前橋育英高校 スポーツナビ (2008年9月23日)〕個性派揃いのチーム〔藤原の他には三田啓貴、井上亮太、岩渕良太、平野又三、山崎侑輝、山村佑樹が同期。〕をまとめ上げ〔『努力は必ず報われる』…苦しみを越えた畑尾大翔の活躍を祈って SOCCER KING (2014年3月20日)〕、CBでコンビを組んだ藤原広太朗〔日本クラブユース選手権(U-18) FC東京U-18が「東京ダービー」快勝で決勝進出 ゲキサカ (2008年8月1日)〕らと共に堅守を築き、U-18クラブユース選手権で優勝を果たした。 2009年、早稲田大学へ進学し、ア式蹴球部に所属。1年時から出場機会を掴み〔C☆voice58 早稲田大DF畑尾大翔「試合でも練習でも自分らしさを出す」 ゲキサカ (2012年4月20日)〕空中戦と対人プレーの強さを発揮した〔CS-Column no.161 全国の頂点に立つのはどこだ? 総理大臣杯直前! 関東勢プレビュー! CS PARK (2012年7月7日)〕。2012年には主将に就任。この頃より肺塞栓を患うも、強靭な守備で最終ラインを統率する大黒柱として部を牽引〔CS-Column no.184 関東大学サッカーリーグ前期ベストイレブン CS PARK (2012年8月3日)〕〔CS-Column no.409 2012年度 関東大学サッカーリーグ1部 ベストイレブン CS PARK (2013年1月23日)〕。同期の島田譲と共にリーグベストイレブンに選出された。しかし、病状の進行によってリーグ戦後に行われた全日本大学選手権(インカレ)の出場は叶わなかった〔 早稲田スポーツ新聞会 (2013年3月8日)〕〔早稲田スポーツ探訪 第84回 WasedaWillWin (2013年1月14日)〕。2013年は5年生として大学に籍を残し、プロ入り断念を含め進路を模索。同年夏に手術を行い、懸命のリハビリでコンディション回復に努めた。 2014年3月に大学を卒業し、Jリーグ・ヴァンフォーレ甲府の練習に参加〔早稲田大の畑尾大翔、プロ契約を懸けて甲府の練習に参加 (1/2) blogola (2014年3月17日)〕。 同月中の選手登録は見送られたものの、高さと強さ、的確なポジショニングやフィードの展開力でアピールに成功し〔【甲府】早大出身DF畑尾の加入発表、肺の病気克服し念願プロへ スポーツ報知 (2014年6月27日)〕〔練習生・畑尾大翔が横浜FMとの練習試合に先発 blogola (2014年3月24日)〕、同年6月に翌7月からの甲府加入が発表された〔畑尾大翔選手 加入のお知らせ ヴァンフォーレ甲府 (2014年6月27日)〕。同年は控えストッパーの1番手として堅守の一翼を担った。2015年はクラブからの勧めで〔 スポーツ報知 (2015年1月25日)〕背番号を3に変更し、副キャプテンを務めた〔2015シーズン キャプテン・副キャプテン 決定のお知らせ ヴァンフォーレ甲府 (2015年2月5日)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「畑尾大翔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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