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畿内丸型貨物船(きないまるがたかもつせん)とは、大阪商船が運航した貨物船のクラスの一つで、1929年(昭和4年)から1930年(昭和5年)の間に三菱長崎造船所で4隻が建造された。大阪商船の、と言うのみならず「日本の貨物船建造に新紀元を画」〔#野間 (2004) p.102〕したクラスでもあり、日本における本格的な高速ディーゼル貨物船時代をもたらしたという点で、「海事史に残る金字塔のひとつ」〔でもある。派生型として関東丸型貨物船が横浜船渠で2隻、南海丸型貨物船が三菱長崎造船所で2隻建造された。太平洋戦争では3タイプ8隻すべてが日本海軍と日本陸軍に徴傭され、すべて失われた。 本項では、主に建造までの背景や特徴などについて説明し、船歴については略歴の形で一覧としてまとめている。単独項目として作成されている船に関しては、そちらも参照されたい。 ==建造までの背景== 大阪商船の北アメリカ航路はアメリカ西海岸のうちのシアトル、タコマを結ぶ航路があり、貨物は大陸横断鉄道を利用して東部に送られていた。東海岸への航路は、第一次世界大戦後の1920年(大正9年)に7隻の所有船をもってニューヨーク線を開設したのが最初であるが、大戦後の不況と船腹過剰により業績は上がらなかった〔#商船八十年史 p.320,326〕〔#野間 (2004) p.118〕。しかし、業績が上がらなかったにもかかわらずアジアとニューヨーク間の荷役量は増加傾向にあった〔#商船八十年史 p.326〕。 ところで、大阪商船は1924年(大正13年)から1925年(大正14年)の間に日本最初のディーゼルエンジン搭載の商船となる音戸丸級貨客船を就航させたのを皮切りに、「紅丸(くれなゐ丸)」、さんとす丸級貨客船といったディーゼル船を続々と就航させていた。のちに「実に当社は我国第一のディーゼル船々主である」〔#商船五十年史 p.429〕と自負する大阪商船は、苦境打破のために研究を重ね、ニューヨーク線向けにディーゼル貨物船を建造することとなった〔。大阪商船はこの新型貨物船を6隻整備することにしたが、うち4隻を自らの手元に残し、これが畿内丸型貨物船となった。残る2隻については、1927年(昭和2年)4月に大阪商船と共同で傭船専門の海運会社を設立させていた岸本汽船に建造させ、長期傭船契約の保証を行ったうえで大阪商船の手で運航されることとなった〔#松井 (2006) p.237〕〔#野間 (2004) p.42〕。この岸本汽船建造分が関東丸型貨物船である。さらに、後述する畿内丸型貨物船の成功でライバル会社が高速ディーゼル貨物船を投入する動きが活発になってきたことに呼応して、ニューヨーク線の補強のために畿内丸型貨物船を改良した貨物船を2隻建造した〔#商船八十年史 p.327〕。この追加建造分が南海丸型貨物船となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「畿内丸型貨物船」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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