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益田元宣 : ミニ英和和英辞書
益田元宣[ますだ もとのぶ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やく, えき]
  1. (n,n-suf,vs) gain 2. benefit 3. profit 4. use 5. advantage 6. being beneficial (useful, profitable, valuable)
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 

益田元宣 : ウィキペディア日本語版
益田元宣[ますだ もとのぶ]
益田 元宣(ますだ もとのぶ、享和2年(1802年)- 嘉永2年(1849年)は、益田家第32代当主。長州藩永代家老・須佐領主益田家13代。
父は右田毛利就任。養父は益田房清。正室は益田房清の娘・孝子。子は益田親興(ちかおき)、益田親施(初め兼施)、益田親祥室・房子(ふさこ、親祥は毛利房謙の子で親施の養子)。
初名は兼宣(かねのぶ)、のちに長州藩第11代藩主毛利斉元(兼宣(元宣)のはとこにあたる)より偏諱を授与されて元宣に改名。通称は越中、刑部、玄蕃。
== 生涯 ==
享和2年(1802年)、右田毛利就任の子として生まれる。文政7年(1824年)、従兄弟にあたる益田房清の婿養子に迎えられ、文政9年(1826年)、養父・房清の死去により家督を相続する。
天保2年(1831年)、当職(国家老・執政)となる。天保5年(1834年)に辞職するが、翌天保6年(1835年)に再び当職となる。13代藩主毛利慶親(斉元の子、のちの敬親)に村田清風を推挙し、天保9年(1838年)に清風が仕組掛となる。天保11年(1840年)の藩政改革にあたって当役となり、清風が当役用談役となる。藩の借り入れを37年賦にする債務整理を断行し、これにより被害を受けた商人達による工作の結果、弘化元年(1844年)に清風と共に職を免じられた。
しかし藩財政の悪化を受けて、弘化3年(1846年)に再度当職となる。嘉永元年(1848年)、手狭となった藩校明倫館が移転再建されることとなり、明倫館大都合役(明倫館総奉行)を命じられ、再興用掛の清風と共に再建にあたった。嘉永2年(1849年)没。享年48。
家督は、正室孝子が生んだ親施が相続した。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「益田元宣」の詳細全文を読む




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