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直江 兼続(なおえ かねつぐ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。上杉氏の家老。兜は、「錆地塗六十二間筋兜」 立物「愛字に端雲の立物」〔竹村雅夫「直江兼続の甲冑遺品」(花ヶ前盛明監修『直江兼続の新研究』(宮帯出版社、2009年)〕。 == 生涯 == === 生誕から謙信時代 === 以下のように諸説あるが、これらを立証する信憑性のある史料は確認されていない。 越後上田庄(うえだのしょう)で生まれた。通説では、永禄3年(1560年)に樋口兼豊(木曾義仲の重臣・今井兼平の兄弟である樋口兼光の子孫と言われている)の長男として、坂戸城下(現在の新潟県南魚沼市)に生まれたとする説と、現在の南魚沼郡湯沢町に樋口姓が多いことから湯沢で生まれたとする説がある。父・兼豊の身分についても見解が分かれている。米沢藩の記録書『古代士籍』『上田士籍』では長尾政景家老、上田執事との記載がある一方、『藩翰譜』によれば兼豊は薪炭吏だったといわれている。母は上杉家重臣・直江景綱の妹とする説と、信州の豪族・泉重歳の娘とする説がある。 永禄7年(1564年)に上田長尾家当主の政景が死去すると、上杉輝虎(謙信)の養子となった政景の子・顕景(後の上杉景勝)に従って春日山城に入り、景勝の小姓・近習として近侍したとも、仙桃院(謙信の実姉で景勝の母)の要望を受け幼い頃から近侍していたとも言われる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「直江兼続」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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