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真田信之 : ミニ英和和英辞書
真田信之[さなだのぶゆき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まこと, しん, ま]
  1. (adj-na,n) (1) truth 2. reality 3. genuineness
真田 : [さなだ]
 【名詞】 1. plait 2. braid
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [これ]
 (int,n) (uk) this

真田信之 : ウィキペディア日本語版
真田信之[さなだのぶゆき]

真田 信之(さなだ のぶゆき)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将大名信濃上田藩の初代藩主、後に信濃松代藩の初代藩主。
== 生涯 ==

=== 武田家臣時代 ===
永禄9年(1566年)、武藤喜兵衛(後の真田昌幸)の長男として生まれる〔 柴辻俊六 著『人物叢書‐真田昌幸』吉川弘文館、1996年、p.76〕。父・昌幸は三男であったため武田家の親類衆・武藤家を継承していたが、天正3年(1575年)5月21日の長篠の戦いで兄の信綱昌輝がともに戦死したことから真田姓に復姓して家督を継承した。信幸は信綱の嫡女である清音院殿を妻に迎えているが、この従兄弟同士の婚姻の背景には、昌幸が真田家当主としての正当性を確保する意図があったことが指摘される〔丸島(2015)、p.66〕〔丸島(2015)、p.262〕。昌幸は庶流家ということもあり、永禄10年(1567年)3月頃までの真田信綱の家督相続後に幸綱・信綱宛の文書は、福井藩士となった信綱の弟・昌輝子孫に「越前真田家文書」として伝来しており、昌幸は「家伝文書」を相続することができない事情があったと考えられている〔。なお、婚姻時期も速やかに家督継承を行う為、信綱の戦死から間を開けず、比較的早い段階であったと推測される。ただし、天正3年には信幸もまだ幼年(10歳)であったので、婚約という形をとった可能性が高い。
その後、信幸は武田家の人質として過ごした〔 柴辻俊六 著『人物叢書‐真田昌幸』吉川弘文館、1996年、p.77〕。『加沢記』に拠れば、天正7年(1579年)に武田勝頼の嫡男・信勝元服と同時に元服を許され、信玄の1字を賜って信幸と名乗ったとされるが〔、「信」の偏諱は勝頼からとする説もある〔丸島(2014)、p.57〕。初見史料は天正6・7年の『真田氏給人知行地検地帳』で、「若殿様」として名が見られる。
天正10年(1582年)3月に武田家が織田信長武田征伐によって滅ぼされると、同じく人質だった母の山手殿と共に上田の父の元へと逃れた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「真田信之」の詳細全文を読む




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