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矢島 信男(やじま のぶお、1928年7月24日 - )は、日本の特撮監督。埼玉県大宮市(現:さいたま市)出身。特撮研究所会長。 == 経歴 == === 松竹に入社 === 1949年に東京物理学校理化学科を卒業し、松竹へと入社〔『DVDウルトラマンレオ Vol.2』 付属ライナーノーツ。〕。大船撮影所に配属される。新入当時は編集から現像、果ては直営館(浅草松竹)の窓口で切符のモギリに到るまで興行の流れを一通り体験した事が、後々のコスト感覚に優れた演出への貴重な礎となって行く〔。早くから劇場映画のカラー化に興味を持っていた事と、ジョン・フォード監督の『ハリケーン』という作品を観た事から特殊技術にも興味を持ち始め、松竹大船撮影所の特殊技術課において撮影監督を務めていた、川上景司への師事を選択する〔。 日仏合作映画の『忘れ得ぬ慕情』では助監督・キャメラ・合成を担当〔。同作で知り合ったフランスの編集マンを通じて編集作業に興味を抱くようになる〔。松竹には敗戦後の公職追放によって東宝を離れていた円谷英二が顧問として在籍しており〔〔『特撮をめぐる人々 日本映画 昭和の時代』 竹内博、ワイズ出版、2011年、89頁。〕、帰路が同じだったこともあり、話を聞かせてもらう機会も多かったという〔〔。円谷から『ゴジラ』にも参加の話が来たが、松竹に在籍していたこともあり辞退している〔。また、ウルトラマンのデザインを手掛ける成田亨も『忘れ得ぬ慕情』の特殊技術を手伝っていた関係から〔親交も深まり、二科展に成田の作品が入選した時は二人で祝杯を挙げている〔。 映画監督の木下恵介には、1955年の『野菊の如き君なりき』の登場人物の心情をあらわすために、楕円形のマスクをかけたカットを通じて、ドラマとして情景カットを取る姿勢を教えられている〔『特撮をめぐる人々 日本映画 昭和の時代』、90頁。〕。 また、撮影監督の三木茂とは仕事上での接点はなかったものの、「作品を作るのは、編集でもキャメラでもなくハートである」という心構えを教わり〔、この言葉は、その後の撮影ポリシーとなっている。 なお、カラー時代の松竹マーク(映画が始まる前の会社マークの映像)は矢島の制作したものである〔。これは撮影仲間同士でカラー撮影の研究会をやっていた折、誰も引き受ける者がいなかったために、押し付けられた形で担当したものである〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「矢島信男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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