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蘇我 安麻呂(そが の やすまろ、生没年不詳)は、飛鳥時代後期の貴族。名前は安麻侶、安摩侶〔『日本書紀』「天武天皇紀」上〕とも書かれる。大紫・蘇我連子の子。子に石川石足がいる。官位は小花下・少納言。 == 経歴 == 天智天皇4年(671年)に天智天皇が病気によって重態となった際、大海人皇子(後の天武天皇)を病床に呼ぶための使者を務める。しかし、安麻呂は以前より大海人皇子と親しくしていたことから、「有意ひて言へ」(よく注意してお話なさいませ)と大海人皇子に忠告した。この安麻呂の一言により、大海人皇子は天智天皇からの譲位の申し出を辞退して出家し、吉野に脱出することができたという〔『日本書紀』天智天皇4年10月17日条,同19日条〕。 他の蘇我氏一族である蘇我赤兄・蘇我果安らが大友皇子側に付いたのとは対照的な行動であり、天武天皇の命の恩人とも言える。この功労にもかかわらず、天武朝にて重用されるどころか、その後全く史料に安麻呂の名が見えず、没年も未詳である。なお、子息の石川石足の死亡記事によると、安麻呂の官位は少納言小花下と見える〔『続日本紀』天平元年8月9日条〕。小花下は天智天皇3年(664年)以前の冠位制度に基づいた名称であることから、壬申の乱後幾ばくも経たない頃に早世したと考えられる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蘇我安麻呂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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