|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 石 : [こく, いし] 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) ・ 川 : [かわ] 【名詞】 1. river 2. stream ・ 達 : [たち, たっし] 1. (n-suf) plural suffix ・ 三 : [み] 1. (num) three
石川 達三(いしかわ たつぞう、1905年(明治38年)7月2日 - 1985年(昭和60年)1月31日)は、日本の小説家。『蒼氓』により、芥川賞受賞者第一号となった。 == 人物 == 秋田県平鹿郡横手町(現・横手市)に生まれる。父が秋田県立横手中学校の英語科教員だったため、転勤や転職に伴って秋田市、東京府荏原郡大井町、岡山県上房郡高梁町(現高梁市)、岡山市などで育つ。1914年、9歳で母を亡くす。1915年、父が再婚する。岡山県立高梁中学校3年から、転居に伴い関西中学校4年に編入し卒業、上京し第二早稲田高等学院在学中に山陽新聞に寄稿。1927年早稲田大学文学部英文科に進み、大阪朝日新聞の懸賞小説に当選。大学を1年で中退した後、国民時論社に就職し、持ち込みを行うも上手くいかず退職。 退職金を基に、1930年に移民の監督者として船でブラジルに渡り、数ヶ月後に帰国。国民時論社に復職して『新早稲田文学』の同人となり、小説を書く。その後国民時論社を再度退職し、嘱託として働く。 ブラジルの農場での体験を元にした『蒼氓』で、1935年に第1回芥川龍之介賞を受賞。1936年に結婚。社会批判をテーマにした小説を書くが、1938年『生きてゐる兵隊』が新聞紙法に問われ発禁処分、禁固4ヶ月執行猶予3年の判決を受ける。1942年には、海軍報道班員として東南アジアを取材。 戦後の1946年4月10日、第22回衆議院議員総選挙に東京2区で、日本民党(にほんたみのとう)公認候補として立候補するが、立候補者133名のうち、定数12名の22位にあたる24,101票で落選。(同区トップ当選の加藤シヅエは、138,496票。石橋湛山も同区から立候補し、20位の28,044票で落選している)その後も社会派作家として活動し、『人間の壁』、『金環蝕』などを著した。 1969年、第17回菊池寛賞受賞。 要職として、日本ペンクラブ第7代会長(1975年 - 1977年)。日本芸術院会員。また、日本文芸家協会理事長、日本文芸著作権保護同盟会長、A・A作家会議東京大会会長を歴任した。 晩年は胃潰瘍から肺炎を併発し、1985年1月31日、東京共済病院で死去した。墓は九品仏浄真寺にある。 長男に、NHK放送文化研究所を経て上智大学文学部教授となった石川旺がいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石川達三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|